ほんとうの創価学会タブー

2011年2月6日 コメントは受け付けていません

 5日に発売された月刊「潮」3月号で、作家の佐藤優氏が昨年11月、九州の西日本新聞会館で行った講演の後半部分が掲載されている。偏差値至上主義の日本型教育システムが官僚の能力低下を招いている実態をはじめ、ロシア語や中国語を用いる世界で現在、「驚くほど多くの創価大学出身者、創価学会関係者が第一線で活躍している」ことなどが紹介されている。その理由として、創価学会という教団には、「真の知性を育む目に見えない力があるのだと思う」と述べ、その源泉は、池田名誉会長の卓越した人格に求められることを示唆する。さらに具体例として、昨年夏、佐藤氏の実母が他界した際、池田名誉会長から寄せられた弔電の内容が、人の気持ちを瞬時に推察するものであり、「本当に私の心を打った」と述べる。加えて同氏は、民主主義を担保するには、個人と国家の中間に位置する組織が重要であり、その意味でも、宗教教団に期待する心情が述べられる。最後に佐藤氏が指摘している次の指摘は、日本における創価学会をめぐる状況を端的に示しており、極めて重要な内容に思われる。
 「私は一人のキリスト教の論壇人として、創価学会タブーを打ち破りたい。繰り返すが、私が言うタブーとは論壇で創価学会について肯定発言がきわめてしづらくなっていることだ。創価学会を抜きにして日本の社会、政治、国家について、正確に語ることはできない。創価学会を冷静かつ客観的に見て、その社会的な役割、歴史的、現在的意義について淡々と語り続けていくことが日本全体のために必要だ」
 筆者もそのとおりだと感じている。創価学会批判は有象無象のものを含めて世にあふれているものの、それを肯定的に分析したものが活字になることは極めてまれである。日本のなかでこれほど浸透した教団の役割が掘り下げられないのは、まさに木を見て森を見ない議論と同じであろう。

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裁判では“偽証”していた「八百長力士」たち

2011年2月5日 コメントは受け付けていません

 昨日付の産経新聞でも指摘されていたことではあるが、今日付の毎日新聞(社会面)は大相撲の八百長疑惑に関し、日本相撲協会などが講談社を訴えて最高裁で勝訴していた裁判で、原告の中に今回八百長への関与を認めた元力士が存在することを報じている。
 この裁判は2007年に「週刊現代」が「横綱朝青龍の八百長を告発する!」と題する連続キャンペーンで火をつけ、相撲協会や力士らが名誉棄損で訴えたもので、1審で講談社は4290万円という名誉棄損裁判では過去最高の賠償額とともに、取消広告の掲載を命じられていた。2審の東京高裁において、賠償額は3960万円に減額されたものの、判決は昨年10月、最高裁で確定。「週刊現代」は昨年11月27日号ですでに取消広告を掲載している。この判決が出るまでの名誉棄損裁判における損害賠償額は、写真週刊誌「FOCUS」を発行していた新潮社が、熊本県の医療法人から訴えられて敗訴し、2004年10月、最高裁で1980万円の賠償金の支払いと謝罪広告の掲載を命じる判決が確定していたのが最高だった。
 今回、過去最高額の3960万円が確定した裁判の真実性の根本が覆りかねない事態となっている。

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堕ちた元委員長  96  ぶざまな党首

2011年2月4日 コメントは受け付けていません

 元政治家の「矢野絢也」は、公明党にとっては第4代の委員長にあたる。今から振り返ると、就任当初から、これほど“ぶざまな党首”もいなかった。
 矢野が党委員長に選出されたのは1986(昭和61)年12月5日、第24回党全国大会の席上だった。同じ日にタイミングを合わせるように発売された「月刊現代」誌上には、“矢野絢也新委員長のアンタッチャブル金脈”と題する13ページにわたる詳細なレポートが掲載されていた。
 記事には「“清潔な公明党”が泣く!?」との副題が添えられ、「公明党の国会議員で、地元のほかに、東京に家を持っているのは矢野だけ」 といった関係者のコメントをはじめ、矢野の金脈に関する内容がこれでもかとばかりに列挙されていた。このレポートでは、結論部分において「皮肉なことに、矢野こそ、体質を変えた公明党のシンボル」と記述され、「矢野新委員長誕生でも、公明党の展望は開けそうにない」とも書かれていた。これらの点は、その後の展開において、まさにその通りになった。
 ともあれ、矢野は冒頭の党大会における就任演説において、全国から集まった党所属議員や党員に対し、次のように呼びかけていた。
 「代議員の皆さん! 本会議に参集された全国の党員の皆さん! 私たちは『大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく』との立党の精神を、いま一度思い起こし、『民衆に愛される公明党』として前進することを決意しようではありませんか」
 矢野はこうした発言から舌の根も乾かないはずの翌月、既述のとおり、明電工関係者の10億円株取引に“関与” し、委員長就任からわずか半年後にも、国会会期中にもかかわらず、自宅で2億円の札束を業者に直接手渡していた。いずれも個人的な資産形成が目的とされている。
 これら2つの事件の発覚がきっかけで、矢野は2年半後の89年5月、委員長職の辞任に追い込まれる。公明党の歴代委員長において、「政治とカネ」が原因で立場を追われたのは、今のところ矢野が最初で最後だ。
 矢野は上記のように「立党の精神を思い起こそう」と党内に呼びかけながらも、自らはそうした気持ちはさらさらなかったようで、これらの言葉を平然と踏みにじる行動をとっていった。つまりは、「民衆に愛される公明党」を目指すどころか、国民にあきれられる政党におとしめた張本人こそ、矢野自身にほかならなかった。
 それでいて肝心の当事者は、事件発覚当時から、そうした事実を一切認めることなく、「二枚舌」を使ってのらりくらりと言い逃れてきた。それだけでなく、事件から20年以上すぎたいまも、そうした態度を一切変えていない。矢野にとって、公僕としての「良心」など、なきに等しいと言ってよいだろう。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也

「泥棒猫」

2011年2月3日 コメントは受け付けていません

 地方選挙の前になると決まって表面化する特徴的な現象がある。自分では大した仕事もしていない政党が、「これは私たちの実績」「あれも私たちの実績」などと、事実的根拠もなく、自在に主張を始める姿のことである。その最たる中心が、日本共産党という政党の地方議員たちである。
 同党は国政と同じく、地方議会においても圧倒的に野党勢力であることが多い。予算策定には与党議員のほうが強い力を発揮する。そのため必然的に彼らの手法は次のようなものになる。
 与党議員あるいは住民の要望などでなされた安全上のインフラ整備などについても、「自分たちは行政に陳情した」「その結果実現した」というロジックだけで、多くが「自分たちの実績です」となってしまう。その間における行政との綿密な交渉、あるいは住民への説得、予算獲得に向けた努力。彼らはそうした陰の労苦にはほとんどタッチしないまま、他人に汗をかかせて、自分たちはいいところだけを“泥棒猫”のように持ち去っていく。
 実はこうした手法は、大なり小なり程度の差はあるものの、同党においては全国的に共通した傾向だ。そのため見識ある住民には、同党の行動の浅ましさを認識している人も多い。
 東京23区の場合、区議会議員と都議会議員が連携して行う実績は数多い。「確たるネットワーク政党」の強みともいえるが、同じ形態の政党といっても、国政において万年野党の共産党とは、その実行力には雲泥の開きがある。近年、ブレていない政党は公明党と共産党だけ、といったとらえ方もあるようだが、民主党の現状から見れば、そうは言えるのだろう。ただし同じ3000人の地方議員を擁する公明党と共産党とはいえ、地方政治における実績は全く異なる。そうした構造上の違いから、共産党は実際にはそう言えないにもかかわらず、「自分たちの実績」と称し、チラシに刷り演説するなど、住民への≪詐欺行為≫を働くしかなくなるわけだ。
 共産党議員や同党候補は、こうした厚顔無恥に耐えきれる人物でないと務まらない。間違っても、正直で、ウソをつけないタイプの人間には向かない職業である。途中で同党議員を辞める人物が少なくないのは、むしろ当然のことだろう。

カテゴリー:コラム, 日本共産党

堕ちた元委員長  95  矢野絢也がシラを切り続ける「明電工事件」

2011年2月2日 コメントは受け付けていません

 1989年5月、公明党の歴代委員長の中で唯一、「政治とカネ」が原因で委員長職を追われた矢野絢也は、自ら起こした金銭スキャンダルについて最後まで認めようとしなかった。その姿勢はそれから20年以上たった現在もまったく変わっていない。矢野が政治生命を失う原因となったのは、当時、明電工疑惑と呼ばれた事件だった。若い人にはこうした事件を直接知らない人も多いと思われるので、以下に簡単にまとめてみる。
 明電工事件とは、東京・渋谷に本社をもっていた節電装置メーカー・明電工の実質的オーナーだった中瀬古功という人物が起こした、株取引をめぐる脱税事件を指している。総額21億円にものぼる個人の脱税は当時、史上3番目の巨額脱税事件として騒がれた。このうち、87年1月に中瀬古氏が行った10億円に及ぶ株取引において、株を購入した名義人に、矢野の元秘書らの名前がとりざたされたことが問題となった。
 さらにこれと別に87年5月ごろ、矢野が明電工関係者に対し、株取引のために2億円の現金を手渡していた事実も発覚。しかも受け渡し場所は委員長である矢野の自宅だった。報道では、矢野が利益の確実な第三者割当増資株を購入するための代金とされたが、矢野本人は当初は「無関係」と強弁し、それが通らないとみるや、途中から「秘書の融資を仲介しただけ」などと主張内容を“変遷”させた。
 矢野は秘書による明電工への2億円もの融資を“仲介”したと主張しながらも、その場に秘書本人は同席しておらず、まして融資の「契約書」も示せなかった。仮に契約書を事後に“偽造”したいと考えても、相手のある話である。もともとそれがあるのなら、「契約書」を示せば疑惑は溶けてなくなる。つまりは、客観的にはだれの目から見ても、都合のいい“言い逃れ”にすぎなかった。
 双方の言い分が対立したとはいえ、「清潔の党」であるはずの公明党委員長の自宅において、2億円もの金銭授受がなされたという「事実」そのものは、動かしがたい、否定できないものだった。そのことが支持者に衝撃を与え、さらに動揺を生む結果となった。
 矢野は86年12月、党委員長に就任した際、「立党精神をいま一度思い起こし、民衆の側に立つ公明党として前進しよう」などと述べていた。だが実際は、その翌月の87年1月、10億円の株取引(金儲け)に関与していただけでなく、同年5月、国会会期中にもかかわらず、日中公然と自宅に舞い戻り、業者に2億円もの札束を手渡していた。口では「立党精神」「民衆の側」などと叫びながら、実際は、立党精神を踏みにじり、「自己利益」のために執心していたわけである。≪二枚舌≫の典型ともいえよう。
 こうした矢野の≪二枚舌体質≫は、当時から20年以上たったいまも上記の虚偽主張を平然と重ねている事実に加え、この件について支持者に謝罪することをせず、逆に開き直り、教団攻撃に走っている事実からも顕著であろう。矢野が単なる「ウソつき」でなく、むしろ「詐欺師」に近いと言われるのはそのためである。

カテゴリー:コラム

矢野穂積によるフレームアップ  東村山転落死「デマ」事件

2011年2月1日 コメントは受け付けていません

 東京・東村山市議だった朝木明代がビルから転落した1995年9月1日夜、その直前に明代が同僚市議の矢野穂積がいた「草の根事務所」を訪れた可能性が極めて高いことは何度も指摘してきた。明代は靴もはかずに事務所を飛び出したわけだが、そのとき明代は「もう真相をすべて警察に話すから」などと矢野に対して啖呵を切って飛び出したとの説がある。朝木明代が6月に行った万引き事件で、明代と矢野はアリバイ工作を行って罪を免れようと画策したものの失敗。そうした経緯について、明代があらいざらい警察にぶちまけると述べた可能性があったというのだ。
 矢野は午後9時すぎに事務所に戻ったとき、カギがしまっていてだれもいなかったとの主張をこれまで続けてきた。つまり、明代が何者かに拉致され、現場まで運ばれて突き落とされたとの“無理筋”のストーリーを維持するには、そのように主張するしかなかったのだろう。にもかかわらず、矢野は草の根事務所から、明代のポケットベルを鳴らした形跡すらない。明代が翌日の出張に備えて講演原稿をワープロで打ちかけのままだったとする主張も、実は矢野一人がそう述べてきただけで、本当のところはだれも確かめていない。
 朝木明代の死は「謀殺」であると主張しながら、矢野は東村山署による草の根事務所への立ち入り捜査すら断った。その理由を考えてみると、明代の靴がそこに残されていたという可能性だけでなく、ワープロなども詳しく調べられたくなかったことが考えられる。たとえば、文書フロッピーに、警察には知られたくない明代作成の文書が入っていた可能性もあった。ともかく、ここで結論として言えることは、矢野は「謀殺」という無理筋のストーリーをつくるために、草の根事務所内の状況をいいように“改変”できる立場にあったという事実である。
 矢野がとった最初の行動は、“創価学会批判”という「生肉」を投げつけてやれば、有無をいわずに猛然と飛びついてくる野犬の類いに、絶妙なタイミングでエサを投げ入れることだった。そのエサに「デマ」という名の毒が入っていたとしても平然と喰いついてくる、そうした群れの中心部に矢野はエサを投げ入れたのである。その中心部とは、乙骨某という名のお粗末なジャーナリストらであったことは言うまでもない。
 当時、矢野は“野犬の群れ”を味方にし、この事件のフレームアップを見事に成功させた。だがその後、野犬の主なるものは訴訟を起こされて“完敗”し、尻尾を巻いて逃げ去っていった。いま、それら野犬の代わりに同じ役割を果たしているのが、瀬戸某などの「ゴロツキ」らである。これらは野犬にも劣る存在である。

カテゴリー:コラム, 矢野穂積

堕ちた元委員長  94  「平気で嘘をつくタイプ」

2011年1月31日 コメントは受け付けていません

 「嘘はダメです小沢さん」と題する今日付の産経新聞のコラムにおいて、同紙の政治部長が次のように書いていた。「彼は自己正当化のためなら平気で嘘をつくタイプの人間だからだ」。その理由として、最近の週刊文春のインタビューで小沢氏が述べた言葉が嘘だらけだなどと主張する。例えば、新聞に公開討論会を開こうと呼びかけてきたが実現したことがないなどの小沢氏の言葉を引き、「私は4年近く政治部長を務めているが、そんな呼びかけをもらったことは一度もない。逆にインタビューを何度も申し込んでいるが、受けてもらったためしもない」などと指摘している。
 私は政治家というのはもともと大なり小なり「自己正当化のためなら平気で嘘をつくタイプの人間」だらけと感じているが、ここで指摘された事実だけで「自己正当化のためなら平気で嘘をつくタイプの人間」と書いてしまうのなら、元政治家の「矢野絢也」など、どうなってしまうのだろうかと疑問をもたざるをえない。矢野の「平気で嘘をつく」度合と比較してみると、矢野のそれはむしろ「詐欺師」のレベルに達しているとさえ感じるからだ。
 1988年12月、当時党委員長の立場にあった矢野絢也は、朝日新聞のスクープによって不明朗な金銭スキャンダル(明電工事件)を取りざたされた。このとき矢野は翌日に朝日新聞社を名誉棄損で刑事告訴し、さらに関係を指摘された主要人物について「会ったこともない」などと答えた。にもかかわらず、翌日になると「会ったかもしれない」「何度か会った」などと“変遷”し、最終的には実際には何度も会っているどころか、昵懇の間柄であったことが判明した(刑事告訴はその後こっそりと“取り下げ”)。
 矢野の自宅でやりとりされた2億円もの札束についても、矢野は自分の秘書の融資の仲介などと理由にもならないウソを繰り返し、「自己正当化のためなら平気で嘘をつく」道を貫いた。そうした一連の“驚くべきウソ”は、それから22年たったいまも、ずっと継続されている。
 矢野は「自己正当化のためなら平気で嘘をつく」どころか、20年以上もの年月にわたり、極端なウソを平気で維持してきた。さらにそうした嘘を隠すのみならず、教団攻撃を加えて行うことで、自己正当化を二重に“上塗り”してきた。その意味では、単なる嘘つきのレベルでなく、「詐欺師」に近いというのはそういう理由からだ。
 矢野はまさに、「自己正当化のためなら平気で嘘をつくタイプ」の≪有段者≫にほかならない。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也