アーカイブ

Archive for the ‘矢野絢也’ Category

堕ちた元委員長  100  “堕ちた”というより「腐敗」した政治家

2011年2月14日 コメントは受け付けていません

 今さらながら矢野絢也のたどってきた人生を俯瞰してみると、「転落」の軌跡そのものであったことがうかがえる。裕福な家に生まれたはずが戦後一転して極貧生活に。京都大学に入学したものの、貧乏との縁は切れず苦学。就職浪人して入った先は関西に本社をもつ大手ゼネコンだった。そこで株式売買の仕事に関与し、投機の世界にふれた。31歳で、就職先を退社後、大阪府議へ立候補。2年後に公明党が立党され、34歳のとき衆院初当選。公明党の書記長に抜擢された。
 府議時代あるいは衆院議員の初期のころまでは、「立党精神」を胸にまじめに働いた時代もあったようである。おかしくなるのは、矢野が38歳となった1970(昭和45)年ごろ。言論出版妨害事件が勃発し、同年5月、創価学会は政教分離宣言を行った。支援団体からのいい意味の監視機能が弱まったことや、自民党の国対政治の恩恵を被ったためか、矢野は北海道を舞台に土地を使った儲け話に関与を始める。
 その後の人生は、表面上は「大衆のために」働いているようなポーズをうまくとりつくろいながら、実際は、一族の資産形成のために立ちまわるという“姑息な生き方”でしかなかった。その証拠に、借金もせずに次々に別荘や豪邸を所有しながら、党幹部として平然と生きてきた。
 「清潔」をうたい文句に政界に進出したはずの公明党にあって、それは“堕落”以外のなにものでもなかった。最終的には明電工疑惑という自身の金銭スキャンダルで世間の知るところとなり、委員長職を辞任した。
 公明党が当初に掲げた「理想」は貶められ、“堕ちた元委員長”などと呼ばれる存在に成り下がった。「堕ちた」「転落した」などというと、共産党特有の左翼用語と感じる向きもあるかもしれない。正確には、「腐敗した」というほうがわかりやすいのかもしれない。公明党出身の政治家としては、明らかに腐ってしまった。
 理想を掲げ、期待されて出発したにもかかわらず、早い段階で挫折し、しかもその挫折をうまく隠しながら生き長らえてきた矢野絢也は、いまも東京新宿区の高級住宅地に「豪邸」を構え、反省なき日々を送っている。自身の政治家としての30年間の「負の側面」にふれることはなく、“自己弁護” の余生に終始してきた。
 人間としてはあまりに誠実さに欠けた、「二枚舌」の人生であったといえる。

広告
カテゴリー:コラム, 矢野絢也

堕ちた元委員長  99  法的措置でも「二枚舌」

2011年2月12日 コメントは受け付けていません

 公明党の歴代委員長の中で唯一「政治とカネ」の問題が原因で“引責辞任”した元政治家の「矢野絢也」が、1988年から89年にかけてとりざたされた明電工疑惑において、嘘八百の言い訳を繰り返し、世の中を呆れさせてきたことはすでに述べてきたとおりだ。同人がどれほどの「二枚舌」の持ち主であるかは、この事件によってその正体はくっきりと浮かび上がっている。言うなれば、自分の身を守るためなら、どんな「嘘」でも平然と繰り返し述べることくらい“朝飯前”の行動であり、そこに何らの抵抗すら感じない「人格」が見てとれる。そうした行動は、法的措置などの分野でも、当時から明確にあらわれていた。
 矢野は明電工疑惑にスクープ記事で火をつけた朝日新聞社に対し、記事が出た翌日に警視庁あてに名誉棄損で刑事告訴したものの、その告訴状はわずか3か月後にはこっそりと取り下げられていた。一方で朝日新聞社への民事提訴は行っていない。民事裁判は相手の同意がないと取り下げられない関係で、ポーズだけ戦う姿勢をとりたい場合などは、政治家は刑事だけ法的措置をとりつつ、あとで取り下げるという手法をとることが多いようだ。矢野の行動はまさにそれを地で行くものだった。
 実は明電工疑惑は、88年12月に朝日新聞がスクープする前の月、日本共産党機関紙「赤旗」が拘置所内の中瀬古被告に面会し、矢野と2人が密接な関係にあったことを裏付ける証言を引き出し、スクープしていた。矢野はそれまで中瀬古氏との関係について「一切無関係」と弁明してきた関係で、矢野の『虚言』が当事者の口を通して暴かれる格好となった。
 だが、なぜかこのとき、矢野は赤旗を訴えることすらしていない。学生時代に共産党の活動をしたことのある同人は、共産党の手法を知悉しており、下手につつくと自分が追い込まれかねないことを危惧したのだろう。そのため、朝日新聞社に対しては告訴の手段に出たものの、結局は尻尾を巻いて逃げ出す格好となった。
 自らの金銭スキャンダル事件であった明電工疑惑に対し、「二枚舌」で対処してきた矢野絢也の行動は、議員引退後、幾つかの法廷闘争においても終始一貫したものだった。同人にとっては、明電工疑惑への「二枚舌」を使った対応と同じく、法廷で『偽証』を繰り返すことなど、“朝飯前”の行動にすぎなかったからである。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也

堕ちた元委員長  98  「裁判所は騙せても、真実までは曲げられない」

2011年2月10日 コメントは受け付けていません

 大相撲に関し“確たる物証”が出てきたことで、もはや「疑惑」の段階ではなくなった八百長問題。これまでこのテーマを手がけたことのある週刊誌メディアは、ここぞとばかりに、競うように“功績争い”を始めている。例えばこの問題を追及してきた「老舗格」を自認する「週刊ポスト」は、最新号の2月18日号において、「角界の八百長問題は、本誌が四半世紀以上前から報じてきた内容」「「07年に『週刊現代』が八百長追及キャンペーンを開始するまで、「国技のタブー」に正面から斬り込んできたメディアは本誌だけ」「『週刊現代』の取材が杜撰であったことは間違いない」などと、自画自賛を繰り返す。
 一方、日本相撲協会などから訴えられた3件もの名誉棄損裁判で完敗し、約4800万円もの高額賠償金を支払った講談社発行の「週刊現代」は、2月19日号において「裁判所は騙せても、真実までは曲げられない」と、当事者ならではの特集を掲載した。さらにその上で、「本誌は裁判には敗訴したが、『八百長相撲の蔓延』という重要事実を、正確に伝えたと自負している」と主張している。
 同じ週刊誌では「週刊新潮」も、2月17日号で、「八百長裁判『巨額賠償』で週刊誌を委縮させた『司法』の暗愚」というタイムリーなタイトルの特集記事を掲載した。だが、講談社に取消広告まで命令した裁判官について、「ホント、こんな判決を出した裁判官のご尊顔を拝してみたいものである」と述べつつも、肝心の裁判官に取材した様子はまったくない。その意味では、極めて中途半端な、お手軽な記事にほかならない。
 ともあれ、講談社発行の「週刊現代」は、「裁判所は騙せても、真実までは曲げられない」と自らの信念を活字にした。これと同じように、裁判所を騙せたとしても真実を曲げられないケースは近年ほかにも見受けられた。元政治家の「矢野絢也」の主張を同誌がそのまま掲載し、裁判沙汰になったケースである。
 この裁判で、一審は矢野の主張をことごとく“排斥” する一方、一転して、二審では逆の判断を下したことは既報のとおり。争点となったのは、一審原告の公明党国会議員OBが矢野との会話を録音した音声データの扱いだったが、一審では「改竄されていない」と判定し、二審では確たる証拠もなく「改竄されている」旨を認定した。結局、完全な判定が下されたとはいえないままの状況が続いているが、ここでも動かしようのない≪新たな物証≫が浮上すれば、八百長疑惑のケースと同じように、「真実までは曲げられない」という内容が確定する関係にあることはいうまでもない。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也

堕ちた元委員長  96  ぶざまな党首

2011年2月4日 コメントは受け付けていません

 元政治家の「矢野絢也」は、公明党にとっては第4代の委員長にあたる。今から振り返ると、就任当初から、これほど“ぶざまな党首”もいなかった。
 矢野が党委員長に選出されたのは1986(昭和61)年12月5日、第24回党全国大会の席上だった。同じ日にタイミングを合わせるように発売された「月刊現代」誌上には、“矢野絢也新委員長のアンタッチャブル金脈”と題する13ページにわたる詳細なレポートが掲載されていた。
 記事には「“清潔な公明党”が泣く!?」との副題が添えられ、「公明党の国会議員で、地元のほかに、東京に家を持っているのは矢野だけ」 といった関係者のコメントをはじめ、矢野の金脈に関する内容がこれでもかとばかりに列挙されていた。このレポートでは、結論部分において「皮肉なことに、矢野こそ、体質を変えた公明党のシンボル」と記述され、「矢野新委員長誕生でも、公明党の展望は開けそうにない」とも書かれていた。これらの点は、その後の展開において、まさにその通りになった。
 ともあれ、矢野は冒頭の党大会における就任演説において、全国から集まった党所属議員や党員に対し、次のように呼びかけていた。
 「代議員の皆さん! 本会議に参集された全国の党員の皆さん! 私たちは『大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく』との立党の精神を、いま一度思い起こし、『民衆に愛される公明党』として前進することを決意しようではありませんか」
 矢野はこうした発言から舌の根も乾かないはずの翌月、既述のとおり、明電工関係者の10億円株取引に“関与” し、委員長就任からわずか半年後にも、国会会期中にもかかわらず、自宅で2億円の札束を業者に直接手渡していた。いずれも個人的な資産形成が目的とされている。
 これら2つの事件の発覚がきっかけで、矢野は2年半後の89年5月、委員長職の辞任に追い込まれる。公明党の歴代委員長において、「政治とカネ」が原因で立場を追われたのは、今のところ矢野が最初で最後だ。
 矢野は上記のように「立党の精神を思い起こそう」と党内に呼びかけながらも、自らはそうした気持ちはさらさらなかったようで、これらの言葉を平然と踏みにじる行動をとっていった。つまりは、「民衆に愛される公明党」を目指すどころか、国民にあきれられる政党におとしめた張本人こそ、矢野自身にほかならなかった。
 それでいて肝心の当事者は、事件発覚当時から、そうした事実を一切認めることなく、「二枚舌」を使ってのらりくらりと言い逃れてきた。それだけでなく、事件から20年以上すぎたいまも、そうした態度を一切変えていない。矢野にとって、公僕としての「良心」など、なきに等しいと言ってよいだろう。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也

堕ちた元委員長  94  「平気で嘘をつくタイプ」

2011年1月31日 コメントは受け付けていません

 「嘘はダメです小沢さん」と題する今日付の産経新聞のコラムにおいて、同紙の政治部長が次のように書いていた。「彼は自己正当化のためなら平気で嘘をつくタイプの人間だからだ」。その理由として、最近の週刊文春のインタビューで小沢氏が述べた言葉が嘘だらけだなどと主張する。例えば、新聞に公開討論会を開こうと呼びかけてきたが実現したことがないなどの小沢氏の言葉を引き、「私は4年近く政治部長を務めているが、そんな呼びかけをもらったことは一度もない。逆にインタビューを何度も申し込んでいるが、受けてもらったためしもない」などと指摘している。
 私は政治家というのはもともと大なり小なり「自己正当化のためなら平気で嘘をつくタイプの人間」だらけと感じているが、ここで指摘された事実だけで「自己正当化のためなら平気で嘘をつくタイプの人間」と書いてしまうのなら、元政治家の「矢野絢也」など、どうなってしまうのだろうかと疑問をもたざるをえない。矢野の「平気で嘘をつく」度合と比較してみると、矢野のそれはむしろ「詐欺師」のレベルに達しているとさえ感じるからだ。
 1988年12月、当時党委員長の立場にあった矢野絢也は、朝日新聞のスクープによって不明朗な金銭スキャンダル(明電工事件)を取りざたされた。このとき矢野は翌日に朝日新聞社を名誉棄損で刑事告訴し、さらに関係を指摘された主要人物について「会ったこともない」などと答えた。にもかかわらず、翌日になると「会ったかもしれない」「何度か会った」などと“変遷”し、最終的には実際には何度も会っているどころか、昵懇の間柄であったことが判明した(刑事告訴はその後こっそりと“取り下げ”)。
 矢野の自宅でやりとりされた2億円もの札束についても、矢野は自分の秘書の融資の仲介などと理由にもならないウソを繰り返し、「自己正当化のためなら平気で嘘をつく」道を貫いた。そうした一連の“驚くべきウソ”は、それから22年たったいまも、ずっと継続されている。
 矢野は「自己正当化のためなら平気で嘘をつく」どころか、20年以上もの年月にわたり、極端なウソを平気で維持してきた。さらにそうした嘘を隠すのみならず、教団攻撃を加えて行うことで、自己正当化を二重に“上塗り”してきた。その意味では、単なる嘘つきのレベルでなく、「詐欺師」に近いというのはそういう理由からだ。
 矢野はまさに、「自己正当化のためなら平気で嘘をつくタイプ」の≪有段者≫にほかならない。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也

堕ちた元委員長  93  旧大蔵族の責任

2011年1月25日 コメントは受け付けていません

 今日付の朝日新聞をながめていてぎょっとする場面があった。編集委員の織田一という人が「記者有論」というコラムで2020年代の日本を想像して書いていたなかで、日本で人民元が使われている光景を描写していたからだ。日本の国家財政が破綻し、中国経済圏に組み込まれた結果、国内で円が使われる機会が減り、中国の通貨である人民元が使われるというものだが、読んでみると現実味のない話ではないことが理解できるから、一層恐ろしくなる。
 近年の日本政治の最大の特徴の一つが、負担を次世代にツケ回しする政策にあったことはまぎれもない事実であろう。「破綻」は逃れられない路線にもみえる。だが本当の問題は、そこにあるわけでもない。大きな危機を等身大のものとしていまだ受け取っていない多くの国民、あるいはそうした状況をいまだにつくり続けているメディアや政治状況にこそ、問題の本質があるように思えてならない。政治家はこの国の急務の課題がそこにあることをわかっていながら、有権者のしっぺ返しを恐れてか、真実を語る「勇気」をもたない。真の意味の「国士」が存在しない状況だ。
 日本の財政破綻の「兆し」に早い段階で警鐘を鳴らすべきだった人物の筆頭に、野党の最高幹部を長年つとめ、大蔵省にも強いパイプをもっていた元政治家「矢野絢也」がいる。同人が、国民のためという党の立党理念を体現する存在となっていれば、少しはその働きも変わったものになっていたかもしれないが、実態は逆だった。同人にとって、政治は己を捨てて国民に奉仕するための場所ではなく、むしろ自分や一族の資産形成を図るための、私欲をむさぼるための場所にすぎなかった。
 だからこそ、こうした「国難」に直面しても、そうした事態などまるで関係ないかのように振る舞うことができる。そうした状況をつくった責任をつゆも感じることはない。この手の“元政治家”にとって大事なことは、国の行く末を憂えることではなく、自分がかつて犯した不祥事を世間から忘れさせ、自分がいいように振る舞いたいとの「自分勝手な感情」に動かされているにすぎないからだ。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也

堕ちた元委員長  92  政治家として、人間として「失格」した男

2011年1月22日 コメントは受け付けていません

 そもそも論から始めたい。矢野絢也は元公明党議員としてあるいは人間として、なぜ「失格者」であると批判されなければならないのだろうか。
 第1に、立党の精神を掲げて政界に飛び出し、党の最高幹部として長年にわたり政治活動を続けながら、崇高な立党精神を堅持できなかったばかりか、むしろ踏みにじるような行為をとってきたという「事実」である。
 ここでいう立党精神とは、1962(昭和37)年9月、公明政治連盟の第1回全国大会において、池田会長(当時)が示した「大衆とともに語り、大衆のために戦い、大衆の中に死んでいく」という精神のことを指す。自分のことではなく、国民のために働けという檄文であったと思われるが、矢野は国会議員になってからはむしろ一家の資産形成(=蓄財)に奔走するようになり、関西と東京に豪邸を構え、株取引に暗躍するなど、およそ大衆に尽くす政治家ではなくなっていた。最後は、明電工事件という不明朗な金銭スキャンダル事件を引き起こし、大きな社会問題に発展し、引責辞任させられた。
 第2に、矢野は上記の行動について何ら反省することなく、これまで生きてきた。引責辞任からすでに22年近くがすぎるものの、同人が上記の行為について、反省する行動をとったことはこれまでない。むしろ、政界引退後は、月刊誌に手記を発表するなどしながら、支援団体を攻撃するなどの行動を繰り返してきた。
 第3に、いまとなっては教団側を逆恨みし、あべこべに、「反逆者」として活動をするにいたった。もともとの原因が一番目に指摘された自身の政治行動の失敗にあったにもかかわらず、その責任を自分以外のものに転嫁することで、自己責任をないものに装う、政治家などによく見られる典型的な手法だった。
 第2から第3に至る過程において、支援団体側から矢野本人に対し、人間としての改心を求めるためのさまざま働きかけがなされたことは事実である。だがそうした過程を、本人が「脅し」と受け取るのか、別に受け取るのかは、本人の主観によっても大きく左右される問題であり、一概にどうこう言えるものではない。
 ただ一つはっきりいえることは、第1の過程において、矢野絢也は公明党政治家としては明確に失格したという事実であり、第2・第3の過程においては、さらに「人間の道」においても失格に至ったという事実である。
 多くの庶民の手弁当の協力を得て国会に送り出してもらった人間が、たいした仕事や実績を残すこともなく、むしろ「自らの不祥事」によって多くの支援者に迷惑をかけてきたにもかかわらず、その行動を真摯に反省することなく、むしろそれを隠すようにこれまで生きてきた事実に、問題の本質はおおむね集約されている。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也