Archive

Archive for the ‘矢野穂積’ Category

自称右翼が写真家に“完全敗訴”  賠償金79万+ビラ配布禁止&廃棄命令

2011年2月9日 コメントは受け付けていません

 東京中野区在住の自称右翼・槇泰智が2007年の東京都議会議員選挙の前後に、中野区の公明党議員を中傷するビラを3種類配布するなどし、議員の写真を撮影した写真家の男性が著作権侵害などで槇を訴えていた裁判で、東京地裁は9日、槇に対し78万5000円の慰謝料の支払いを命じるとともに、3種類のビラすべてについて配布を禁止し、さらにすべてのビラを廃棄するように命じる判決を言い渡した。自称右翼にとっては完全敗訴というべき内容である。
 同じく9日、東村山の薄井政美市議が矢野穂積や朝木直子などを名誉棄損で訴えて一審で200万円勝訴していた裁判の控訴審が行われ、高裁判決は3月16日午後1時10分、東京高裁424号法廷で言い渡されることになった。
 なお前日の8日には、“東村山のペテン師”矢野穂積の言い分を鵜呑みにして09年6月に東村山・東大和市内で街宣活動を行った槇と黒田大輔に対し、創価学会が名誉棄損で訴えて、一審判決で槇と黒田が賠償金110万円と街宣活動などの禁止を命じられていた裁判で、控訴審における2回目の口頭弁論が開かれた。裁判はこの日で結審し、高裁判決は4月21日午後2時から東京高裁824号法廷で言い渡されることになった。

 【著作権裁判の概要】 http://www2.atwiki.jp/kusanonemaze/pages/78.html

カテゴリー:コラム, 矢野穂積

矢野穂積によるフレームアップ  東村山転落死「デマ」事件

2011年2月1日 コメントは受け付けていません

 東京・東村山市議だった朝木明代がビルから転落した1995年9月1日夜、その直前に明代が同僚市議の矢野穂積がいた「草の根事務所」を訪れた可能性が極めて高いことは何度も指摘してきた。明代は靴もはかずに事務所を飛び出したわけだが、そのとき明代は「もう真相をすべて警察に話すから」などと矢野に対して啖呵を切って飛び出したとの説がある。朝木明代が6月に行った万引き事件で、明代と矢野はアリバイ工作を行って罪を免れようと画策したものの失敗。そうした経緯について、明代があらいざらい警察にぶちまけると述べた可能性があったというのだ。
 矢野は午後9時すぎに事務所に戻ったとき、カギがしまっていてだれもいなかったとの主張をこれまで続けてきた。つまり、明代が何者かに拉致され、現場まで運ばれて突き落とされたとの“無理筋”のストーリーを維持するには、そのように主張するしかなかったのだろう。にもかかわらず、矢野は草の根事務所から、明代のポケットベルを鳴らした形跡すらない。明代が翌日の出張に備えて講演原稿をワープロで打ちかけのままだったとする主張も、実は矢野一人がそう述べてきただけで、本当のところはだれも確かめていない。
 朝木明代の死は「謀殺」であると主張しながら、矢野は東村山署による草の根事務所への立ち入り捜査すら断った。その理由を考えてみると、明代の靴がそこに残されていたという可能性だけでなく、ワープロなども詳しく調べられたくなかったことが考えられる。たとえば、文書フロッピーに、警察には知られたくない明代作成の文書が入っていた可能性もあった。ともかく、ここで結論として言えることは、矢野は「謀殺」という無理筋のストーリーをつくるために、草の根事務所内の状況をいいように“改変”できる立場にあったという事実である。
 矢野がとった最初の行動は、“創価学会批判”という「生肉」を投げつけてやれば、有無をいわずに猛然と飛びついてくる野犬の類いに、絶妙なタイミングでエサを投げ入れることだった。そのエサに「デマ」という名の毒が入っていたとしても平然と喰いついてくる、そうした群れの中心部に矢野はエサを投げ入れたのである。その中心部とは、乙骨某という名のお粗末なジャーナリストらであったことは言うまでもない。
 当時、矢野は“野犬の群れ”を味方にし、この事件のフレームアップを見事に成功させた。だがその後、野犬の主なるものは訴訟を起こされて“完敗”し、尻尾を巻いて逃げ去っていった。いま、それら野犬の代わりに同じ役割を果たしているのが、瀬戸某などの「ゴロツキ」らである。これらは野犬にも劣る存在である。

カテゴリー:コラム, 矢野穂積

朱に交わって赤く染まった「朝木直子」

2011年1月23日 コメントは受け付けていません

 95年に東村山駅前のビルから転落死した朝木明代市議が結婚した相手は、かつて自分の家庭教師であった男性だった。東村山市内の臨済宗寺院が男性の実家で、明代より6歳年上だった。一方の現在の東村山市議会議員である矢野穂積は、明代より3歳年下となる。明代の長女「朝木直子」は、思春期のころと思われるが、この矢野穂積が家庭教師を務めた間柄だ。朝木家の歴史にとって、この「家庭教師」というのは、人間を結びつける一つのキーワードとなっているようだ。4人の年齢差を並べていくと、次のようになる。

  朝木明代の夫 (6歳) 朝木明代 (3歳) 矢野穂積 (20歳) 朝木直子

 現在、矢野穂積は63歳、朝木直子は43歳。東村山市議転落死事件が「謀殺だった」という根拠のないデマの発信源となったのが矢野穂積自身であったことは、すでに社会では広く知られた「公知の事実」といってよい。問題は、それに同意・同調してきた朝木直子の存在であろう。小生には同人が本当に母親が殺されたと心底から信じているとは到底思えないだが、朱に交わると赤く染まるという言葉もある。この場合の「朱」が「矢野穂積」のことを指すことはいうまでもなかろう。自分の身を守るためなら平気で“虚言”を用い、社会にふりまくことを厭わないような人物と深く関わるようになれば、その内的精神も似通ったものになるのだろうか。
 母親の「後釜」に居座った、23歳も若かった朝木直子は、矢野穂積にとって欠くことのできない存在である。

カテゴリー:コラム, 矢野穂積

薄井市議が矢野穂積らに「200万円勝訴」した裁判  次回口頭弁論は2月

2011年1月16日 コメントは受け付けていません

 2008年4月に東村山市議の薄井政美氏が同市議の矢野穂積、朝木直子、NPO法人多摩レイクサイドFMを相手取り、名誉棄損による1000万円の損害賠償などを求めた裁判で、次回の口頭弁論は2月9日(水)午後1時30分に行われることが明らかとなった(東京高裁424号法廷)。
 東京高裁ではいったんは昨年の12月22日に判決を言い渡す予定で結審していたが、弁論再開となった。2010年3月に東京地裁立川支部で出された一審判決では、被告の矢野穂積らに200万円の損害賠償の支払いを命じるとともに、多摩レイクサイドFMには謝罪放送を行うことなどを命じていた。

カテゴリー:コラム, 矢野穂積

“究極のデマ”で16年生き長らえた「矢野穂積」

2011年1月14日 コメントは受け付けていません

 このコラムを読んできた読者からすれば、東京・東村山市の「矢野穂積」という名の市議会議員が、かつて同僚市議であった朝木明代の転落死事件を利用し、確たる証拠もないままに「他殺事件」に仕立て上げ、自らの政治生命を巧みに延命させてきた“技術”に驚かれることだろう。
 彼らがこれまで主張してきた「学会謀殺説」というものは、実は、朝木明代を自殺に追い込んだ自らの結果責任を隠す意図から出されたものであり、自己保身のたまものであることもご納得いただけよう。彼らにとっては相手は創価学会でなくてはならなかったわけではなく、たまたまそのころ、オウム真理教事件が世間をにぎわせていた関係で、市民を騙すためには著名な宗教団体であることが好都合だったということにすぎない。要するに、市民をだませる構図がつくれるのなら、そのパーツは何でもよかったともいえる。
 繰り返しになるが、事件から15年以上すぎたいまも、謀殺説の事実的根拠となるものはどこにも存在しない。つまり彼らは、16年近くにもわたり、根拠のない「デマ」を発信し、主張し続けてきたことになる。すべては自分たちの政治的立場を守るためにだ。その背景には、朝木明代、矢野穂積、朝木直子という3者の“複雑な人間関係”があったことも指摘してきたとおりである。
 矢野穂積は「デマ」を“最大の栄養源”として議席の維持を図ってきた日本でも珍しい公職者といえる。良心の呵責をこれほど見事に欠落させた人格も珍しい。東村山市民にとっては、こんな「ペテン師」に、いつまで議員バッジを付けさせるのかという民度を問われている問題でもある。

カテゴリー:コラム, 矢野穂積

母親の「後釜」にそのまま居座った朝木直子

2011年1月13日 コメントは受け付けていません

 1995年、落選したはずの矢野穂積を無理くりに当選させるために草の根市民クラブが行った「議席譲渡」事件、さらには朝木明代市議の引き起こした万引き事件や会派で行った虚偽のアリバイ工作。草の根市民クラブは「壊滅」に向かってひた走っているように見えたとき、その流れに棹をさしたのが、同年9月に起きた明代の転落死事件だった。
 議席をかすめ取っていた矢野穂積と、議席を譲渡した張本人の朝木直子の2人は、明代の死が「謀殺だった」などと何らの証拠もなく主張。オウム真理教事件にわいていた時期でもあり、週刊誌メディアはばかげた「情報工作」にそのまま飛びついてしまった。そのため、最高裁で議席譲渡「無効」と判断されたあと、草の根の議席はいったんはゼロとなりながらも、99年に行われた市議会議員選挙では、2人は上位当選で“返り咲き”を果たすことができた。朝木直子は断トツのトップ当選、前回落選したはずの矢野でさえ定数26人中5位当選という好成績をおさめた。すべては朝木明代の死をいいように利用し、公然と「虚偽宣伝」を行ったことが不思議と時流にのり効を奏する形となった。いまから振り返ると、運がよかったとしかいいようがない。
 朝木直子はバッジをつけて初めて議員活動を開始。もともと直子にとって矢野穂積は、思春期に家庭教師をつとめてくれた間柄で、その意味では矢野とはいわば「師弟関係」にあったともいえよう。直子は矢野のおかげか、やんちゃな性格もおさまり、慶応大学に進学することができた。
 朝木明代の死後、朝木直子と矢野穂積が“恋人同然”に仲良く手をつないで歩く姿が目撃されている。直子は母親の明代の「後釜」に、そのまま居座る形となった。

カテゴリー:コラム, 矢野穂積

騒動の最中に「離婚」していた矢野穂積

2011年1月12日 コメントは受け付けていません

 女性市議の“ためらい自殺”をオウム真理教事件にかこつけて宗教団体による暗殺であるかのように吹聴した「東村山デマ事件」。デマの発信源は現東村山市議(4期)の矢野穂積だった。その矢野にとって、1995年という年は私生活においても変動の年だったようだ。
 同年4月、東村山市議会議員選挙に初めて立候補した矢野は立候補者34人中28位で落選(定数27)。当選まで52票足りなかった。その矢野がどうしても議席を欲しがったためか、4位当選の朝木直子に当選を辞退させ、繰り上げ当選して議席をかすめ取った行為が、「議席譲渡」事件として全国区の社会問題となった。“議席のたらい回し”“議席の私物化”などと市民から批判の声は強く、同じ会派に所属していた現職議員の朝木明代にも多大なストレスがかかったものと思われる。
 その明代が市内の洋品店で万引き事件を起こしたのは6月19日。矢野らは、万引き事件をなかったものにしてしまおうと、さまざまな「工作」活動を繰り広げる。洋品店へ直接訪問し、脅しの言葉を投げつけ、「被害届」を撤回さえようとするなどさまざまに動いた。その甲斐もむなしく、最後は矢野と明代でファミリーレストランで食事をしていたことにし、虚偽のレシートを東村山署に提出。警察の捜査でアリバイ工作のウソが暴かれ、さらに窮地に陥る。そうして9月5日に矢野と明代が東京地検八王子支部に出頭を命じられていた矢先の1日夜、明代はデマ事件の発端となる転落事件を引き起こし、翌朝帰らぬ人となる。
 こうしたどさくさの中で、矢野穂積は前妻と離婚。何が主たる要因となったかは定かでないが、朝木家で過去に「親族会議」まで催されていた事実からすると、矢野穂積の前妻の耳にも、矢野と明代の親しすぎる関係の噂は、当然ながら入っていたものと推測される。

カテゴリー:コラム, 矢野穂積