アーカイブ

Archive for the ‘新潮社’ Category

仙谷由人前官房長官が文春・新潮を提訴

2011年1月18日 コメントは受け付けていません

 官房長官から民主党代表代行に就任したばかりの仙谷由人衆院議員が17日、週刊新潮と週刊文春の記事をめぐりそれぞれ名誉棄損による1000万円の損害賠償などを求める裁判を東京地裁に起こした。問題となったのはいずれも1月13日号の記事で、昨年末に首相官邸で行われた忘年会の席上、仙谷氏が大手紙の官房長官番で「40代前半の女性記者」「清楚な黒髪の和風美人」(いずれも新潮記事)に対し、セクハラ発言をしたと報じられたもの。両誌とも同一の情報源の可能性があるが、それらの記事では、酔っぱらった仙谷氏が女性記者に対し、「俺も歳だけど、まだタツかな」(新潮)などの発言を繰り返した旨が記載されている。

 【読売オンライン】 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110117-OYT1T00881.htm

広告
カテゴリー:コラム, 文藝春秋, 新潮社

「記者の基本」なるもの

2010年12月13日 コメントは受け付けていません

 「週刊新潮」に変見自在という長期連載のコラムがある。元産経新聞記者のコラムニストが執筆しているものだが、いま出ている12月16日号は「船橋洋一論」。いわずとしれた現在の朝日新聞の主筆だが、このコラムは、「朝日新聞が潰れるとしたら、その責任の一部はいま主筆をやっている船橋洋一にあると思う」とのしんらつな書き出しで始まる。右派側からの“さや当て”の類の文章かと思いきや、読み進めるとそうでもない。
 要するに執筆者は、船橋氏が情報の裏づけをとるという「記者の基本が」「なっていない」と断言し、複数の証拠を提示している。執筆者によれば、船橋氏は極端な中国寄りのジャーナリストであり、中国人(コラムでは「支那人」と記述)と白人の言うことなら、裏づけもとらず真実だと思い込むという“病弊”なるものを指摘する。私は内容の真偽にここでこだわりたいわけではないが、こうした指摘は、反学会ジャーナリストと呼ばれる人々にも共通の「図式」としてそのまま当てはまる。
 たとえば、典型的な乙骨某を例に挙げよう。教団批判をする者の言葉であれば簡単に「真実だと思い込んで」しまう点はまったく同じだ。冒頭の筆者は「船橋にはこんな不始末が山とあって、すべてとぼけ通してきた」と書いているが、乙骨も同様に、東村山デマ事件、信平狂言事件、その他細かいものでは数えきれないほどの「不始末」の山を築いてきた。だが、同人は、それらの結果責任を「すべてとぼけ通してきた」ことも同じだ。
 要するに、右とか左とか、反学会とか、そんな立場には何の関係もなく、「記者の基本とはウラを取ること」「そして常により真実に近づく姿勢を保つ」とする部分における筆者の指摘は、極めて正当である。
 東村山デマ事件において、控えめに表現すれば“バイアスのかかった情報”を裏づけをとることもなく正当化してきたジャーナリストらは、その「不始末」を反省することなく、いまも「とぼけ通して」生きている。

カテゴリー:コラム, 矢野穂積, 新潮社

「週刊現代」が“取消広告”を掲載

2010年11月16日 コメントは受け付けていません

 講談社が発行する「週刊現代」が2007年に行った大相撲「八百長疑惑」キャンペーンに対し、日本相撲協会などが3件の名誉棄損裁判を起こしてすべてにおいて現代側が敗訴確定した問題で、「週刊現代」は現在発売されている11月27日号(150-151ページ)で取り消し広告2件と、雑誌としての見解を掲載した。
 同誌は3件の裁判でいずれも真実性・相当性を認められず敗訴し、合計4785万円の損害賠償を命じられたほか、うち2件については、「取り消し広告」という謝罪広告としては異例の掲載命令を受けていた。
 相撲の世界に「八百長」があることはすでに広く知られているものの、実際に民事訴訟の裁判になると、真実性を立証するのに多くの困難が伴うことは容易に想像できる。だが、相当性の立証がまったく認められなかったのは、メディア側としては片手落ちであろう。
 「週刊現代」が“脇の甘い”取材をする媒体であることは、すでに95年に東村山市議転落死事件報道に象徴されるように、業界内ではよく知られた事実だ。加えて、講談社の顧問弁護士グループも、けっして能力が高いわけではない。「週刊現代」は2001年以降に確認できるものだけでも、謝罪広告を掲載した件数は9回に及び、「週刊新潮」の同時期の7回に比べ、際立っている。

 【週刊新潮】 http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20101115-OYT1T00738.htm?from=main2

カテゴリー:コラム, 講談社, 新潮社

「矢野絢也」を使い続ける「週刊新潮」の見識

2010年9月3日 コメントは受け付けていません

 首都圏で昨日発売された「週刊新潮」が4月29日号で突然連載を打ち切ったはずの元政治家・矢野絢也を再び“特別寄稿”という形で登場させている。タイトルは「民主党は政権を担うにはあまりに未熟だ」というもので、読んでみても、一般の新聞報道を超えた部分はほとんどなく、だれもが予想できるような≪陳腐≫な内容。これで「特別寄稿」とは恐れ入る。矢野の記事では民主党の人材不足を嘆いているものの、むしろ「週刊新潮」に登場する政治評論家の≪人材不足≫のほうがより深刻に見える。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也, 新潮社

門田隆将にみる「捏造記者」へのステップ

2010年8月12日 コメントは受け付けていません

 25年前の今日というと、1985(昭和60)年8月12日である。この日の夜、午後7時台に日航機不明の第一報が入った。そのとき私は東京・大手町の日本経済新聞社で学生アルバイトをしていた。最初、共同電だったか、時事だったか覚えていないが、社内のピーコでその一報が流されたのをいまも鮮明に記憶している。社会部は別の階にあったが、編集局はあわただしい雰囲気に包まれたことを思い出す。
 今日付の日経新聞・春秋の欄(朝日の天声人語にあたる)に、そのときの様子が出ていて、記憶が蘇った。「東京発大阪行の日航123便がレーダーから消えた」。時事通信の速報ファックスはそのような内容だったと春秋コラムは伝えている。日経関係者にも同機に搭乗して亡くなった人がいたことが判明するのは後のことである。
 当時、ノンフィクション作家の門田隆将は、週刊新潮編集部に所属する社員記者で、入社3年目。現地取材に派遣され、“一番乗り” を果たしたと本人がよく自慢していたという。本日付の読売・産経には、同人が執筆した著作の出版広告が大きく出ているが、25年前に新潮記者として取材した経験をふまえたノンフィクションのようだ。
 同人は、この取材で新潮社内で頭角をあらわし、あくの強い特ダネ記者としての地盤を固めていった。その意識は後年、週刊新潮社内で記事を執筆する立場になったときに、負けず嫌いの性格からか、結果的に多くの誤報・虚報を生む一つの要因になったとも見られている。
 主に教団がらみの報道に多く、94年の白山信之氏名誉棄損事件、95年の東村山市議転落死事件、96年の信平狂言事件と、教団関係のいわゆる「3大デマ事件」においていずれも中心的な役割を果たした。それでも同人は、これらの明らかな「虚報」について、いまもって被害者に謝罪したことは一度もない。
 振り返ると、こうした誤報を生むためのひとつのステップになったとみられるのが、日航機墜落事件における同人の活躍ぶりだった。いまは本名ではなくペンネームで活動しているようだが、上記のデマ事件などへの過去の関わりが、本名で執筆することのできない理由の一つと見られている。

カテゴリー:コラム, 新潮社

デマ事件「作出」から15年  “総崩れ”する謀殺説の面々

2010年8月7日 コメントは受け付けていません

 1995年9月1日、東村山女性市議転落死事件において、教団謀殺説を最も早くから吹聴し、主張したのは東村山市議の矢野穂積だった。あれから15年——。さまざまな証拠をもとにしても、この事件が他殺であったことを裏付けるものは何もない。つまり、確かな証拠もなく、謀殺説に頼らざるをえなかった矢野の「個人的状況」だけが浮き彫りになるばかりである。彼にとっては、「自殺」であっては困る事情があったにすぎない。
 デマ事件に最初に飛びついたのは、「週刊現代」「週刊新潮」などのメディアに加え、この問題で著作を出版した乙骨某。乙骨は矢野から「朝木さんが殺された」というバイアスだらけのリーク情報を入手すると、すぐに週刊新潮のデスクだった門脇護(現在、門田隆将)に連絡。矢野のデマ情報を “拡散”するための尖兵の役割を果たした(ちなみに門田隆将はこの事件で新潮200万円敗訴のきっかけをつくった人物)。
 これまでこの事件に関する数十件におよぶ多くの民事裁判が行われてきたなかで、謀殺説が事実として認定されたことはただの一度もなかった。矢野穂積の主張してきた内容の裏付けは、あれから15年経ったいまも、裁判の審理に耐えうるものは何一つ存在しないのである。
 そんな状況にもかかわらず、いまだに謀殺説を主張する者に、まともな者がいないことはすでに明らかであろう。2年ほど前からこの問題に参入してきた“ゴロツキ右翼”らの行動が、まともな事実解明を求めてのものでないことは、すでに多くの関係者が感じ取っている。
 こうした似非右翼の片割れたちに情報を与え、焚きつけたのも、冒頭の東村山市議・矢野穂積らだったことは、すでに裁判の中で明らかになっている。すべての根源は、常にこの男にあったことになる。
 矢野にとっては、この事件の「真実」を明らかにすることが行動の目的でないことは、すでに多くの関係者が気づいていることだ。同人にとっては、「謀殺」でなければ困る個別的事情が存在しただけであり、そのことは同人の利害と直線的に結び付いている。
 東村山事件の本質は、実は極めて単純なものだった。一人の≪デマゴーグ≫に社会が振り回されてきた歴史にすぎなかったからだ。この15年間は、その振り回された相手が、週刊誌メディアからゴロツキ右翼へと変化していく過程にすぎなかった。
 いまはあの乙骨某でさえ、この問題については、何も主張できなくなっている。“ゴロツキ右翼”らの仲間になることへの躊躇を感じているのかもしれない。

 ※デマゴーグ ……… デマを手段として用いるような政治家。扇動政治家。

カテゴリー:コラム, 講談社, 新潮社

マスコミ報道に「デマ」を持ち込む『産経・新潮』手法の危険性

2010年7月9日 コメントは受け付けていません

 少し前、中国人の女性と話していてプッと吹き出されたことがある。夫婦別姓が当たり前の中国にあって、日本で選択的夫婦別姓法案への反対論として「家族の絆が壊れる」と主張する意見があることを紹介したときのことだ。その女性は複数の子供を育て上げた年代で、夫とは当然ながら姓が異なる。なんてバカバカしいことを聞くのだろうといった表情で、家族の絆はそんなもので崩れるようなものではないことを体験的に話してくれた。おそらく夫婦別姓が定着している韓国人に聞いても、似たような反応が返ってくるのではなかろうか。
 今日付の産経新聞が「外国人参政権 争点隠しはフェアでない」の社説を掲載している。民主党が外国人参政権や夫婦別姓問題について、マニフェストに記載していないことを批判するものだ。昨日首都圏で発売された『週刊新潮』(7月15日号)も、「民主過半数なら覚悟せよ『3杯の毒』」というトップ記事を掲載。“3杯の毒”とは一体何だろうと読み進めてみると、なんのことはない、外国人参政権、夫婦別姓法、人権侵害救済法のことだった。保守派が「亡国法案」などと言い募っているいつもの主張である。
 外国人参政権問題で、長崎県の対馬が韓国に乗っ取られるなどの「デマ」を最初に大きく記事にしたのは、実は『週刊新潮』だった。そのデマを“後追い”して連載を行ったのが「産経新聞」という全国紙である。実際は、韓国人は対馬の土地をそれほど買っているわけでもなく、わずかな一部を引き伸ばして、それらがあたかもすべてであるかのように誤読させるための記事にすぎなかった。“狼少年的手法”と言い換えてもよい。
 私はここで、右だ、左だといったことにこだわるつもりはない。ジャーナリズムはあくまで「事実」に立脚して行われるべきという手法を問題にしているにすぎない。その意味で、『産経・新潮』のとってきた手法は、危険きわまりないものだ。日本を滅ぼすのは、実は彼らが指摘するような3つの法案などではなく、このように事実をいいように捻じ曲げて(あるいはそれに到達する能力もないまま)、“宣伝”に活用する姿勢のことであろう。
 ひとつの家族がすべて同姓でないと絆が壊れるという主張も、現実を無視した“思考停止”を象徴する内容だ。永住外国人に地方選挙権を認めると外国人に乗っ取られるという短絡すぎる主張も、その延長に映る。
 「週刊新潮」は90年以降、「1億5000万円」もの損害賠償を司法から命じられてきた“札付き”の雑誌だ。一方の産経新聞は、マスコミ紙というオブラートで包まれているものの、その本質は新潮と大差ないようだ。

カテゴリー:コラム, 産経新聞, 新潮社