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Archive for the ‘山崎正友’ Category

いまだ“ニセ相承”が裁判の争点となる「日蓮正宗」

2010年12月20日 コメントは受け付けていません

 前法主の阿部日顕が米国シアトルで買春したと報道され、裁判で真実性が認定されたこともある日蓮正宗が、いまだ“ニセ相承”で揺れている。発端となったのは、同教団が正信会寺院34カ寺を相手取り、「日蓮正宗」の名称使用の差し止めを求める裁判を起こしたことによる。正信会はもともとは日蓮正宗に所属していたが、山崎正友らの策動で阿部日顕らを公然と批判したことから82年に僧籍の剥奪処分を受けたグループとして知られる。ちなみに、ジャーナリストの乙骨某なども当時はこのグループに所属していた。そうした分派組織ともいえる正信会寺院に対し、正統派を自認する日蓮正宗側が、同じ名称を名乗るな、と訴えた裁判だった。
 2008年12月、一審の東京地裁は、原告である日蓮正宗の訴えを棄却した。敗訴した日蓮正宗側はやむをえず控訴したものの、今年8月に出された東京高裁判決においても、日蓮正宗側の控訴は棄却され、敗訴を繰り返した(現在、上告審で係争中)。
 この裁判のなかで、一審被告の正信会側は、阿部日顕が相承を受けていない“詐称法主”であることを指摘し、そうした人物によって選定された現法主の早瀬日如は、正当な法主ではないから裁判を起こす資格はない旨の主張を繰り返してきた。これに対し、日蓮正宗側はまともな反論もできないまま、2度にわたり敗訴したわけである。
 約20年にわたり“ニセ相承”の疑惑が付いて離れない日蓮正宗――。そもそもの原因が「阿部日顕」の法主就任にあったことはいうまでもない。当の本人は90近い年齢ながら、いまも生き長らえている。

カテゴリー:コラム, 山崎正友

4人のジャーナリスト

2010年12月6日 コメントは受け付けていません

 1990年2月号の月刊現代記事が手元にある。タイトルに「創価学会ウォッチャーの驚愕座談会」とあり、4人のジャーナリストが顔写真を並べている。右から「内藤国夫」「溝口敦」「段勲」「乙骨正生」。このなかで唯一肩書きがジャーナリストでないのは、「継命新聞編集長」の乙骨某だけである。日蓮正宗のいわゆるC作戦が謀議されたその年の発行という点に着目したい。そのためか、この座談会のトーンは終始、「ダムが崩壊する寸前の状態」などといった感じで、掲載されている乙骨のコメントによれば、「平成2年(※90年)は、創価学会の崩壊元年になるのではないでしょうか」との“願望”で締め括られている。
 この記事で注目されるのは、冒頭の「なぜ学会問題に関わったか」という項目で、段勲が自分の元学会員であった事実を意図的に隠している点であろう。段はすでに自分の著作でそのことを公にしていたが、その後はその事実をひたすら隠そうと努めてきた。冒頭の「現代」記事はその証拠ともいえる内容になっている。
 さらに乙骨某が自身の肩書きに使用していた継命新聞は、日蓮正宗の分派組織「正信会」の機関紙であり、日蓮正宗と鋭く対立する関係にあった。にもかかわらず乙骨はその後、同紙を辞めると、手の平を返すかのように、日蓮正宗側に寝返った経緯がある。要するに、“飯のタネ”になるなら立場などどうでもよいといった姿勢にあふれていた。過日の本人尋問のなかで、その点を追及された乙骨は、最後まで明確な信仰的信念を述べることができなかったのも理由のないことではない。
 いま冒頭の4人のうち、内藤国夫はすでに死去。溝口敦の著作といえば、もともと共産主義的二元論のシロかクロといったスタンスの代物で、およそ全体像の正確性を欠いている。段と乙骨はいずれも脱会者であり、2人の違いは、段はその事実を「隠そう」と努め、乙骨は逆にそのことを「強調」することで、仕事拡大に活用してきた点にある。
 先日の乙骨尋問で注目されたのは、2年前に死去した“希代のペテン師”山崎正友について、乙骨が法廷で批判するような言葉を多数投げかけた事実であろう。乙骨は、過去の反学会活動において山崎がスタンドプレーを繰り返したかのように主張し、あげくは「山崎」と呼び捨て扱いにした。亡くなった人間に対しては、遠慮が要らなくなったということだろう。
 その山崎正友の正信会活動のもとに育ってきたのが、実は乙骨某自身であり、その意味で山崎と乙骨は“同じ穴のむじな”にほかならない。日本の創価学会報道が公平性や客観性を欠く傾向が強いのは、各種メディアがこうした面々に多くを頼ってきたこととも無関係ではない。先の2回にわたる「文春記事」なども、そうした例の最たるものだった。

堕ちた元委員長  49  山崎正友とウリ二つの人生

2010年8月13日 コメントは受け付けていません

 元政治家の矢野絢也の生きた軌跡をふりかえると、“希代のペテン師”山崎正友のそれと瓜二つであることに驚く人は多いだろう。山崎は弁護士として、矢野は草創期の公明党(公明政治連盟)のホープとして期待され、活躍の場を見つけた。山崎は仕事を通して知り合った静岡県の自民党県議と懇意となり、金漬けにされ、金銭感覚をおかしくした。一方の矢野は、国会に議席をもったあと、公明党書記長として他党の幹部らと親しく付き合うなかで、やはりこれも金銭感覚を麻痺させた。
 山崎は自分で冷凍食品会社の経営のまねごとをしたものの数十億円の負債とともに倒産。首がまわらなくなり、顧問先であった教団を恐喝し、カネを引き出そうとした。一方の矢野は、議員になって金儲けがセカンド・ビジネスになったかのように、原野商法で支持者を騙したり、高速道路のサービスエリアの利権をはじめ、専門学校ビジネスなどに直接・間接に関与した。
 そうした金銭感覚の麻痺の「帰結」は、山崎の場合は懲役3年の実刑判決をうけることになる教団への恐喝事件であり、矢野にとっては、明電工疑惑をはじめとする公明党議員としては重大な金銭スキャンダルの発覚であった。そのため、山崎は教団の顧問弁護士をクビになったばかりでなく、刑務所暮らしという報いを受けることになる。矢野も、党委員長職を辞任せざるをえなくなり、まもなく議員引退に追い込まれた。
 その結果、第三者や環境を「逆恨み」するという行動も共通のものだ。山崎は出所後、報復のために教団攻撃に躍起になった。矢野も議員を辞めさせられたとの恨みの感情をもち、報復的な行動を始める。共通するのは、いずれも自身の行動のいたらなさが招いた結果にすぎないにもかかわらず、その責任を自分のものとして受けとめられず、教団のせいにするという自己愛に満ちた心理的傾向だ。
 そうして報復の手段としてとった行動も似通っていた。あることないことをマスコミ雑誌に手記という形で発表するという方法がそれで、山崎の場合は「週刊文春」をはじめとする多くのメディアに、矢野の場合は「月刊文藝春秋」を中心にそれらを発表した。これまで述べてきた2人の共通点をまとめると、以下のようになる。

 (1) 仕事を通じて金銭感覚が麻痺
 (2) 社会的問題を引き起こすも、自分の責任ととらえきれず、反対に逆恨みする
 (3) 雑誌に「手記」を発表して意趣返しを図る

 それでも、山崎正友と矢野絢也を見比べると、異なる点が一つだけある。山崎の場合は、反逆後は形式上は一貫してその信念を貫き通したのに対し、矢野はのらりくらりとジグザグな軌跡をたどってきたことだ。
 93年に議員引退した矢野は、引退させられた恨みからか、文藝春秋に自身に都合のよい政界内輪話を連載し、間接的な教団攻撃を始めた。だがその後、教団の幹部から責任を追及されると、謝罪し、評論家をやめるときっぱりと述べるなど反省するそぶりを示す。だが時間がすぎると再び心変わりしたのか、今度は教団側に「評論家を止めるように脅された」などと提訴したこれまでの経過を見れば一目瞭然だろう。
 当然ながら信念の内容が正しいかどうかは別の問題となるが、矢野絢也は、明らかに自分の信念を一貫させることのできない人物だ。その意味でいう限り、山崎よりもさらに劣っている人間というしかない。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也, 山崎正友

ペテン師・故「山崎正友」が全面敗訴  東京地裁

2009年1月29日 コメントは受け付けていません

 元弁護士で昨年末に死去した山崎正友が2005年7月、野崎勲氏(故人)が執筆した記事などをめぐり野崎氏の遺族、創価学会、秋谷会長(当時)、池田名誉会長に対し当初総額8000万円の損害賠償を求めていた裁判で、東京地裁(民事32部)は28日午後1時すぎ、原告の訴えをすべて棄却する判決を言い渡した。これにより、虚偽にまみれた山崎の主張は、すべて“排斥”される結果となった。
 対象となったのは聖教新聞社が発行する「創価新報」に2002年に連載された野崎勲氏の筆による記事のほか、それらをまとめた単行本『人間失格・こんな悪い奴はいない』などで、これらの記述内容について山崎はいずれも虚偽であり、名誉棄損にあたると主張して訴えていた。
 同人は2002年から横浜地裁小田原支部にも同様の名誉棄損訴訟を次々に起こしていたが、この裁判はいちばん最後に起されたものだったこともあってか、訴訟を速やかに進行させるために、あえて小田原支部で中心的な争点となっていた巨額手形詐欺などの記述を除外し、(1)宮本宅盗聴事件(2)クルーザー遊覧(3)麻雀賭博(4)不倫問題(5)考える会ビラ発行による闇金疑惑(6)墓苑事業にからむ裏金取得などの記述に絞って審理を進めてきた。最後に起こされた裁判ながら、最初に判決が出たのはそのような事情による。
 最初の証人調べは昨年7月に行われ、峰岸証人、佐貫証人、木村証人、山崎本人が出廷。さらに2回目の証人調べは同年9月に行われ、浜中和道証人と山崎本人が証言した。
 山崎はこの裁判を含めた一連の裁判で、あれも名誉棄損、これも名誉棄損と手当たり次第に訴訟をふっかけ、争点を膨大に膨らませ、その結果、小田原のほうは提訴から6年半がすぎても証人調べに入れないという、通例の名誉棄損訴訟では到底ありえない展開になっていた。そうした“ポーズ訴訟”の一部とはいえ、6項目にもわたった争点がいずれも崩れた(=棄却された)ということは、山崎がいかに虚偽を構えて訴訟を起していたかが白日の下にさらされたことになる。判決内容はそれらの記述すべてが違法性をもつ名誉棄損に当たらないとするもので、記述の正しさが裏づけられた形だ。
 ちなみに途中から原告・山崎の代理人となっていたのが、共産党系法律家団体として法曹界でその名を知らない者はいない「自由法曹団」の中心者・松井繁明弁護士で、同人はこのような詐欺師まがいの人物を擁護してきただけに、同団体は長年の人権闘争の歴史にキズを付けることになった。
 さらに山崎側の証人として出廷した佐貫某は、日蓮正宗・阿部日顕の直属の謀略部隊「妙観講」の構成員の一人で、長年にわたり山崎の“カバン持ち”として動き、96年の信平狂言事件では、山崎の名代としてさまざまに工作をしかけた張本人として知られる人物。いわば詐欺師にいいように使われてきた“手下”であり、それでいて法廷ではさまざまにボロを露呈させ、山崎敗訴の一因となった。
 いずれにせよ、原告の死去後にもかかわらず、山崎の生前の言動の多くのウソが弾劾されたわけであり、死後においても、同人の“ペテン師”ぶりを証明したという意味でも貴重な判決となった。
 私事ながら、裁判長は高部眞規子裁判長で、小生が日本共産党に03年に訴えられ、同党が訴えを取り下げるまでを担当したのと同じ人物であり、個人的には懐かしい思いがした。相変わらず、テキパキと男勝りに、ときに厳しく訴訟指揮をとった結果、なんとか一審判決にたどりついたように見えた。

カテゴリー:コラム, 山崎正友

学者本も指摘した矢野絢也の「原野商法」詐欺

2009年1月26日 コメントは受け付けていません

 山崎正友の死について次のように指摘しているサイトがあった。
 「彼とそのお仲間たちの『創価学会批判』のおかげで、創価学会に対するまともな研究や批判が壊滅状態に陥った、と私は思っている。彼らは生活のために『創価学会批判』という名目の営業活動を続けていただけである。山●●友サンたちのおかげで、創価学会批判は30年は遅れたと思う。だから冥福を祈る気にはならない」(http://siawaseo.exblog.jp/)
 山崎らの意図的な情報工作活動の結果については、小生も似たような感想をもつ。ここで「そのお仲間」と指摘されているのは、現存する人間に即していえば、段勲や乙骨某などの面々であろう。さらにこのサイトの記述はこうつづく。
 「幸いなことにようやくここ数年は島田裕巳さんがまともな『創価学会論』を書いているので、マスコミやジャーナリズムも多少は風向きが変わり始めたような気もする」
 小生はこの部分についてはやや異なった感想をもつが、その学者が上梓した『民族化する創価学会』(2008年)では、同じ学者でも福本潤一などの偏った本とは異なり、元公明党委員長・矢野絢也の過去の悪事などもきちんと記載されている。例えば、「浮上した原野商法詐欺疑惑」(P162)などが一例で、その意味では、客観的なスタンスといえよう。
 矢野絢也は衆議院に当選してまだ5〜6年のときに、有力支持者の一人に北海道の原野を「将来新幹線が通る」などと秘書を使ってもちかけて購入させ、自分の親族がかかわる会社に利益をもたらしていた。近年になって被害者家族が怒りの告発を行い、そこで発覚した問題である。この件について矢野は、口先とは反対に、事実上の「容認」の姿勢をとっている。
 なぜなら、一切、名誉棄損でも訴えていないからだ。民主党幹部らが擁護したマルチ商法は悪徳商法の一つに数えられるが、原野商法も典型的な悪徳商法。公党の委員長をつとめた人間が、こんなあこぎな商売にかかわっていたのだから、天下の笑いものだ。「詐欺師」といわれても仕方がない。

カテゴリー:コラム, 山崎正友, 民主党

あらゆる利益を貪(むさぼ)り尽くすサイコパス

2009年1月25日 コメントは受け付けていません

 サイコパスは自分の欲望を満足させるために遠慮会釈なく行動する。それは人間の根本的な欲望、すなわち食欲、性欲、物欲に基づくため、金銭問題や異性問題などにおいて顕著な特徴を示しやすい。通常の人間が持ち合わせている“良心の呵責”(「理性」と置き換えてもよい)を持ち合わせていないことが特徴なので、その分、自由奔放に行動する傾向が明らかだ。
 例えば、顧問先を恐喝して資格を失った元弁護士・山崎正友は、恐喝事件を起したあと、当時、教団と対立していた宗教団体グループ正信会から資金援助されて生活していた。刑事裁判の活動をつづけられたのもそのためである。当時、大分県に山崎が懇意にしていた正信会住職の寺院があった。近くに飲食店を経営する寺の有力な女性信徒がいた。住職にその店に連れて行かれた山崎は、この女性に目をつける。女性が自分のことを“教団と戦う英雄”であるかのように尊敬する感情をもっていることに目をつけ、誘いをかけたのだ。
 一般にサイコパスはこのように相手の気持ちを読む能力にたけており、そうした特技を使って、自分の欲望を満足させるために効率的に行動する。一言でいえば、相手の弱みを見抜く力が一般人より格段に優れているということだ。山崎はこの女性を食事に誘い出し、ホテルで半ば強引に関係を結んだ。以降、そうした肉体関係とともに、金銭まで出させる関係となる。「カネ」と「性的満足」を一挙両得で得ることができたわけだ。それでいて、懇意としていた当時の住職の妻とも不倫を重ね、後年、この女性と再婚している。このようにサイコパスの性行動は一般人とはかけ離れており、見境いがない。
 三浦和義の場合はこの点はさらに顕著である。例えば銃殺された3番目の妻の関係では、その妹(既婚者)らにも、平気で「ラブホテルに行こう」と誘っていた。同人の性行動が病気の域にあることは多くの関係者が知っていたことでもある。
 サイコパスと見られる者たちが、欲望を満たすために自由奔放に行動するのは≪共通した傾向≫である。そのため、そのサイコパスを分析した書物などでは、「捕食者」という用語が頻繁に飛び出す。ヘビが自分の目の前に現れた野ねずみなどの獲物を勝手気ままに捕食するように、サイコパスは、周りの人間を平然と “捕食”する。その意味で、サイコパスの行動特性は、爬虫類のそれに似ている。欧米でサイコパスのことを“スーツを着たヘビ”と別称するのはそのためであろう。
 上記のようにサイコパスには「サイコパスの法則」ともいうべき顕著な特徴が見受けられる。東村山のサイコパスにこの理論が当てはまるかどうかは、さらに実証的な研究を重ねていくつもりだ。

「阿部日顕」を悪しざまに罵った“ペテン師”を持ち上げ続けた「妙観講」

2009年1月18日 コメントは受け付けていません

 日蓮正宗・前法主の阿部日顕(86)直属の謀略実行組織として知られる「妙観講」の機関紙『慧妙』が最新号(1月16日付)で山崎正友の訃報記事を掲載した。それによると、戒名は「随法院正賢日成居士」というもので、かつて阿部のことを「ゼニゲバ」「遊蕩児」「独裁者」と罵っていた山崎の半生を盛んに持ち上げている。
 さらに同人が友人の妻を寝取って再婚したことで知られる現在の妻が、「夫・山崎正友のこと」と題する手記を掲載し、飼い猫の「幸四郎」の頭をなでながら、生前、夫がつぶやいたという言葉などを紹介している。
 これまで毎回のように掲載してきた山崎による連載はこの号から止まった。もはや原島嵩や山崎正友といった脱会者に頼るしかなかった日蓮正宗にとって、2人の相次ぐ死去は打撃にちがいない。原島と山崎は教団脱会後、日蓮正宗と対立する正信会に所属し、阿部日顕のことを上記のように罵っていた。山崎らは刑務所から出所後、今度は経済的に支援を受け続けてきた正信会を裏切り、阿部側に擦り寄った経緯がある。
 正信会の中心者はかつて、「山崎というジョーカーを最後まで持っている教団が負け」といった名言を残しており、今後も、日蓮正宗は“衰退の一途”を余儀なくされると思われる。

カテゴリー:コラム, 妙観講, 山崎正友