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Archive for the ‘乙骨’ Category

“2人の関係”めぐり「親族会議」まで開かれていた朝木家

2011年1月9日 コメントは受け付けていません

 お粗末なジャーナリストとして知られる乙骨某がその最初の著作である『怪死』(96年)の232ページにおいて次のような記述をしたことは関係者の間でよく知られている。内容を記すと、乙骨某はそこで次のような2つの事柄を指摘していた。

 ○ 朝木明代と矢野穂積は以前からダブル不倫関係にあり、2人が草の根事務所内で性交渉している声が外に漏れていたとの噂が東村山市内で流れた。
 ○ 朝木明代の死は、娘の朝木直子と矢野穂積が不倫関係に陥り、それにショックを受けたのが朝木明代の自殺の動機であるとする噂が流された。

 草の根事務所内で上記のような行為が行われていたのかどうか、寡聞にして小生は知らない。ただし、少なくとも東村山市内において、矢野穂積が朝木親子を “食い物”にしてきたとの噂が幅広く流通していることは事実である。というのも、その前提事実ともいえる次のような事態が実際にあったことも一面的には事実である。
 80年代後半のことと思われるが、朝木明代と矢野穂積の間の親密な関係をめぐり、朝木明代の夫であった朝木大統氏の兄弟らが集まり、親族対策会議が開かれた事実がある。場所は大統氏の実家である臨済宗の地元寺院だった。
 当時、大統氏は三井信託銀行の札幌支店長として単身赴任中の身であり、その夫のいない間に、妻である朝木明代と、別に妻子をもつはずの矢野穂積との関係が世間で評判になっていたという。そうした状況に危機感を抱いた大統氏の実姉(85)が、この会議を催すために尽力したと伝えられる。こうした親族会議の開催に対し、「草の根」の2人は、猛然と抗議したらしい。大統氏の実姉はいたたまれなくなって、その後東村山市から姿を消したと伝えられる。
 はっきりいえることは、朝木明代の夫の親族といういわば「足元」から、朝木明代と矢野穂積の親しすぎる関係は問題視されていたという事実であり、そのための「対策会議」が開かれるほどの差し迫った状況にあったという事実である。

カテゴリー:コラム, 矢野穂積, 乙骨

日本の創価学会報道が「貧困」な理由

2011年1月4日 コメントは受け付けていません

 明日発売される月刊『潮』2月号に、作家の佐藤優氏の講演した際の内容が10ページにわたって抄録されている。昨年11月に福岡市で行われたものというが、そのなかに、潮という媒体に寄稿したことで中傷を受けた経験についてもふれている。そのまま引用しよう。
 
 もうひとつ、『潮』に寄稿した後に受けた中傷がある。
 「佐藤は創価学会からカネをもらっているのではないか」
 「潮出版社がとてつもない原稿料を支払ったのではないか」
 と言われた。しかし、創価学会からカネをもらったことはないし、『潮』の原稿料も、『文藝春秋』や『新潮45』よりも低い。もっと報酬の高いメディアはたくさんある。創価学会が有識者をカネで買っているかのごとき都市伝説には根拠がないというのが私の経験だ。この時に私は実感した。現在、日本には明らかに「創価学会タブー」が存在している。世間で言われているような「学会は力があるから、メディアが悪口を書けない」というタブーではない。その逆のタブーである。
 創価学会に関する悪口はいくらでも書ける。しかし、創価学会の役割や功績を、客観的事実に基づいて述べたり、客観的に評価したりすることがマスメディアでは難しいのだ。

 上記の文章の特に後半部分に、日本のおける創価学会報道の貧困ぶりの「根拠」が短的に示されていると私は実感する。創価学会のような(今では)大きな教団が、単に負の理由だけで存在しているわけはない。どの団体・組織もひとりの人間と同じく、長所と短所を備えているのがふつうであろう。にもかかわらず、「短所」のみをあげつらい、あるいはそれをデッチ上げてまで行おうとするのは、明らかにルール違反である。その「役割や功績」についても客観的に評価するのが、バランスのとれた報道というものであろう。過去における日本の創価学会報道の歴史は、まさにそのような“負の歴史”でつづられてきた。
 たとえば、教団への「悪口」や揚げ足取りのみでこれまで“商売”を続けてきた乙骨某や段勲、さらに溝口敦などが、教団の「役割や功績を、客観的事実に基づいて述べたり、客観的に評価したりする」ことはついぞできない話だろう。それは彼らの創価学会報道にかかわってきた「動機」に深くかかわっている。

カテゴリー:コラム, 文藝春秋, 乙骨

4人のジャーナリスト

2010年12月6日 コメントは受け付けていません

 1990年2月号の月刊現代記事が手元にある。タイトルに「創価学会ウォッチャーの驚愕座談会」とあり、4人のジャーナリストが顔写真を並べている。右から「内藤国夫」「溝口敦」「段勲」「乙骨正生」。このなかで唯一肩書きがジャーナリストでないのは、「継命新聞編集長」の乙骨某だけである。日蓮正宗のいわゆるC作戦が謀議されたその年の発行という点に着目したい。そのためか、この座談会のトーンは終始、「ダムが崩壊する寸前の状態」などといった感じで、掲載されている乙骨のコメントによれば、「平成2年(※90年)は、創価学会の崩壊元年になるのではないでしょうか」との“願望”で締め括られている。
 この記事で注目されるのは、冒頭の「なぜ学会問題に関わったか」という項目で、段勲が自分の元学会員であった事実を意図的に隠している点であろう。段はすでに自分の著作でそのことを公にしていたが、その後はその事実をひたすら隠そうと努めてきた。冒頭の「現代」記事はその証拠ともいえる内容になっている。
 さらに乙骨某が自身の肩書きに使用していた継命新聞は、日蓮正宗の分派組織「正信会」の機関紙であり、日蓮正宗と鋭く対立する関係にあった。にもかかわらず乙骨はその後、同紙を辞めると、手の平を返すかのように、日蓮正宗側に寝返った経緯がある。要するに、“飯のタネ”になるなら立場などどうでもよいといった姿勢にあふれていた。過日の本人尋問のなかで、その点を追及された乙骨は、最後まで明確な信仰的信念を述べることができなかったのも理由のないことではない。
 いま冒頭の4人のうち、内藤国夫はすでに死去。溝口敦の著作といえば、もともと共産主義的二元論のシロかクロといったスタンスの代物で、およそ全体像の正確性を欠いている。段と乙骨はいずれも脱会者であり、2人の違いは、段はその事実を「隠そう」と努め、乙骨は逆にそのことを「強調」することで、仕事拡大に活用してきた点にある。
 先日の乙骨尋問で注目されたのは、2年前に死去した“希代のペテン師”山崎正友について、乙骨が法廷で批判するような言葉を多数投げかけた事実であろう。乙骨は、過去の反学会活動において山崎がスタンドプレーを繰り返したかのように主張し、あげくは「山崎」と呼び捨て扱いにした。亡くなった人間に対しては、遠慮が要らなくなったということだろう。
 その山崎正友の正信会活動のもとに育ってきたのが、実は乙骨某自身であり、その意味で山崎と乙骨は“同じ穴のむじな”にほかならない。日本の創価学会報道が公平性や客観性を欠く傾向が強いのは、各種メディアがこうした面々に多くを頼ってきたこととも無関係ではない。先の2回にわたる「文春記事」なども、そうした例の最たるものだった。

松井繁明弁護士はレッキとした日本共産党員

2010年12月3日 コメントは受け付けていません

 名誉棄損裁判で6回敗訴していることで知られるジャーナリストの乙骨某が創価新報の座談会記事で名誉棄損されたとして1100万円の損害賠償などを求めている裁判の証拠調べが2日、東京地裁で開かれた。記事を担当した聖教新聞記者、熊谷弘元衆院議員、乙骨本人が証言した。
 この日、10時30分から尋問が予定されていたものの、原告・乙骨側の主任代理人が遅刻し、開始は5分遅れた。定刻に姿を見せなかったのは、“遅刻常習犯”として知られる松井繁明弁護士である。
 最初、担当記者への被告側弁護士による主尋問を聞いていた松井氏は、「この事件と関係のないことをあまり聞かないでほしい」と抗議。乙骨某が過去に多くの名誉棄損事件で敗訴した経緯や、信平狂言事件の「デマ」に乗っかって、記者会見の司会をするなどしてきた行為について、担当記者が答えている最中のハプニングだった。被告側弁護士は、「予定時間内に終わらせる。公益性などの点から必要」と軽く松井氏をいなすと、同氏はすごすごと引き下がった。
 その松井氏が再び逆上するかのように立ち上がったはそれから間もないころ。乙骨某がこれまでの裁判で、当初は日蓮正宗の代理人を務めたことのある弁護士に委任していたが、途中から、自由法曹団の団長を務める共産党系弁護士らに頼むようになったと指摘した瞬間だった。松井氏はやおら立ち上がり、自由法曹団は共産党系ではない、あるいは自分は共産党系ではない旨の発言をまくし立てた。被告側の「証言者の認識として聞いている」という説明でなんとか引き下がったが、実際は、松井氏はさまざまな証拠の上から、日本共産党員あるいはそれに準じる立場にあることは歴然たる事実だ。その証拠を以下に列記する。
 (1) 松井氏は過去に宮本顕治氏、あるいは日本共産党の代理人をつとめている。
 (2) 2000年6月18日付「しんぶん赤旗」に掲載された記事では、松井氏の肩書きは日本共産党の「法対部副部長」となっている(※法対部=法規対策部)。
 (3) 共産党中央機関紙「しんぶん赤旗」にたびたび取り上げられている(松井氏の名前で検索すると123件がヒットする)。
 (4) 松井氏は日本共産党の党組織にたびたび個人献金を行っている(各種の収支報告書に明らか)。
 これらはまぎれもなく、松井繁明弁護士が、日本共産党員あるいは形式上はそうではないとしたところで実態上はまったく同じであることを示している。その松井氏が法廷で、自らの素性を否定することに躍起になったのは、自由法曹団が共産党系とレッテルばりされる事態を避けたかったからにちがいない。実のところ、松井氏は同団体の前団長(=最高責任者)をつとめ、さらに乙骨某の同じく代理人をつとめる菊地弁護士が、現在の団長という関係にある。菊地氏も松井氏と同様、レッキとした日本共産党員あるいはそれに準じる立場にあることは明白だ。「正義」を守るべき弁護士が、法廷で平然と「虚偽」を主張する姿は、滑稽ですらあった。

カテゴリー:コラム, 日本共産党, 乙骨

「デマ男」のマインド・コントロールから抜け切れない「脱会者ライター」らの哀れ

2010年10月16日 コメントは受け付けていません

 宗教専門紙「仏教タイムス」(週一回刊)が連載している「人間革命教団の虚と実」というコラムのなかで、最新の10月7日発行号では、「東村山の記憶 学会と闘い続けた故朝木市議」と題して、いまだに教団謀殺説に沿った“希少価値のある”記事が掲載されている。先月号では、「低劣右翼」の黒田某が発刊した書籍を「話題の新刊本」などとヨイショしていたので、どういう連中が書いているかがうかがえるが、今回のコラムも、10月2日に東村山市で開かれた「追悼集会」のことから話が始まる。集会に参加した段勲・乙骨某が無署名で書いているか、そのスジの者が書いているかのいずれかであろう。目立つのは次のような記述だ。
 「個人事務所で使用している電話代、光熱費等1円に至るまでの明細を公開。全国でも例をみない潔癖な市議会議員だったのである」
 もちろんこの記事の書き手は、「草の根」が次々に市民や議会に訴訟をふっかけ、市側に数千万円の応訴負担をかけたという事実などは一行も書かない。さらにそれらの訴訟で、草の根側がほとんど敗訴している事実などに言及するはずもない。記事ではさらに次の記述も見られる。
 「朝木議員は、脱会を望む創価学会の代理人のような立場になった。そうしたさ中の1995年9月1日夜10時頃、朝木議員は、東村山氏の駅前ビル5階から、転落死する」
 いわんとしている意図は明白だろう。元市議が死亡した「理由」について、一生懸命結びつけようとする「意図」だけが、まざまざと浮かび上がってくる。かといって、「政教一体団体を厳しく批判してきたオピニオン・リーダー」(東村山市民新聞HP)を自認するはずの市議会議員・矢野穂積が、彼らの論理に従えば、朝木明代につづき、いまだに殺されない不思議さなどについては何も書かれない。
 当時の時代状況からすれば、教団において脅威となっていたのは、希代のペテン師「山崎正友」のほうであり、朝木明代などは所詮は“泡沫扱い”にすぎなかった。教団側が草の根つぶしにこれまで本気になって取り組んでこなかった事実は、その後、朝木明代の遺志を受け継いだはずの「デマ男」矢野穂積が、3期にわたって市議会議員に「当選」し続けた経緯からも容易に証明できる。教団本体からすれば、「草の根」など、これまで本気で対策する必要性を認められなかった存在とさえいえる。そうしたことにも記事は一切ふれない。
 そうして記事では最後に次のような記述が置かれる。
 「遺族や朝木議員の周囲にいた後援者たちは、市に800万円も返上している朝木議員が、たかだか1900円のTシャツと命を引きかえるだろうか、と疑問を抱く」
 この執筆者は、万引きに手を染める行為が、所持金と関連性をもたないケースが多いことをなんら考慮しない。その意味では「ど素人」の文章とさえいえる。
 結論として、この記事の執筆者は、いまだに「デマ男」の“マインド・コントロール”から抜け切れていない。「脱会者ライター」は、教団憎しの潜在意識が働くためか、物事を冷静・客観的に見れない傾向をもつ。そうした特徴をいとも簡単に利用し、コントロールされてきた。その実態は、「言論の自殺行為」といいかえてもよい。いまだにこんなスタンスで記事を書いているのは、日本広しといえど、段・乙骨一派くらいなものだろう。

“デマ男”を応援する奇特な雑誌「FORUM21」にお答えしよう

2010年10月12日 コメントは受け付けていません

 名誉棄損事件で6回も敗訴確定するなど、「ガセネタ屋」と蔑称されているジャーナリスト乙骨某の主宰する月刊小冊子「FORUM21」が、10月2日に東村山市で開かれた追悼集会について記事にしている。「トピックス 朝木明代東村山市議の追悼集会行われる」というもので、執筆者名は「本誌編集部」。この追悼集会には、乙骨某のほか、常連執筆陣の段勲なども参加し、応援の挨拶まで行っていたから、この小冊子がいまだに「デマ男」矢野穂積らの主導する政治勢力「草の根」を持ち上げている構図は明らかである。そのことを当コラム(10月5日付)で指摘されて悔しかったのかどうかは知らないが、次のようなことを書いていた。
 「創価学会やその関係者は、朝木市議の転落死を『自殺』と強調。同事件を『デマ事件』なとと呼び、同事件を追及する遺族・関係者や本誌の発行人である乙骨などを誹謗するが」転落死や関連の事件を担当した検事が、創価学会関係者だった「事実などには一切触れない」。
 さらによほど気になったのか、「編集後記」でも同じ内容にふれ、「本当に『事件性』はなかったのでしょうか。真相究明は急務の課題です」などと書き連ねている。彼らにとってはもはや、“最後の拠り所”は担当検事の思想信条以外にないようである。ならば少しそのことにもふれてみよう。
 この事件の担当検事に、創価学会員がいることが明らかになったのは、転落死事件が起きて、しばらくたった時期だったと記憶する。つまり、事件当時、そのことは知られていなかったが、その後そのことが明らかになり、矢野穂積や乙骨某などは、その事実をもって、捜査がきちんと行われなかった、真相究明が邪魔された旨を主張してきた。
 一方でこの者たちは「教団謀殺説」を早くから唱えてきたあるいは示唆してきた張本人である。彼らの主張によれば、朝木明代市議は教団批判の急先鋒であり、暗殺される理由があったということになる。だが、この問題をちょっとでも取材してみれば、彼らの主張がいかに矛盾に満ちたものであるか、まともな取材者であればすぐに気付くことになるだろう。
 彼らはいまも暗殺を示唆し続けているが、その転落現場となったのは、まだ人どおりのある駅前のビルの一角であり、いつ住民に発見されるかわからないという、犯行の発覚をおそれる者からすれば「極めて危険な場所」にすぎなかった。本当にそうした行動に出るのなら、もっと人目のつかないところに運んだことは素人が考えても明らかだろう。オウム真理教事件で殺された弁護士一家のケースを考えればなお一層明らかだ。
 しかも彼らの主張によれば、明代は特殊な薬品をかがされるなどして、昏睡状態に陥らされ、ビルの5階から横倒しにごろんと落とされたなどと主張してきた。事実的根拠のまったくない「推論」「邪論」にすぎない。
 実際は、頭部や顔面には損傷がなく、足から落ちたことが明らかであり、しかもだれも争った声を耳にしていない。マンションのドアの向こうには、当時まだ仕事をしている人がいたのである。結局、突き落とされた形跡は皆無。現場に残された「事実」からは、≪ためらい自殺≫であることは明白だった。
 こうした事件の真相を物語る「事実的根拠」と、検事の思想信条とは、なんら関係するものではない。
 ではその自殺の動機が何だったか、そこに明代が自分でなした「万引き事件」があったことは明らかだ。この万引き事件を担当した検事が学会員とされているが、この事件は、郵便不正事件における検事の証拠偽造といったケースとは根本的に異なり、「万引き事件」そのものは、動かない事実として存在していた。
 万引き行為に手を染めた朝木明代らは、これらの事実を認めて謝罪するどころか、事件を隠蔽する目的で、洋品店に「教団関係者」との≪虚偽のレッテル≫をはりつけ、さらにお礼参り的行動を重ねたほか、警察でもウソの供述を繰り返した。その結果、極めて「悪質な事案」として、書類送検されたということにすぎない。
 しかも明代が転落死した段階、つまり検察に出頭する4日前の時点では、本人が万引きを認めなければ起訴する方針がすでに決まっていたとされる。担当検察官がほんとうに教団寄りの人間なら、そうした想定される先行き情報を教団側に知らせれば、教団側はあとは黙って見ているだけでよかった。つまり、暗殺する合理的理由などまったく存在しなかった。仮に出頭して朝木明代が罪を認めれば、起訴はされないものの社会的評価を失うし、否認すれば起訴され、やはり前科者となる。同じように社会的評価を失うことは明らかだったからだ。どちらにせよ、朝木明代や矢野穂積の社会的生命はすでにこの時点で終わっていた。教団側が危険を冒して朝木明代に手を出す必要など、前提条件として、まったく存在しなかったことになる。
 彼らの論理に従えば、朝木明代が死亡したことで、実際に損をしたのはむしろ教団側だった。明代の死亡のおかげで、万引き事件の刑事処理は途中で遮断される形となり、明代はあべこべに「正義の英雄」に祭り上げられ、矢野穂積も社会的生命を失わずに済んだ。彼らは明代が死亡したことで、結果的に「得」をしたわけである。一方、逆に教団側は損をしただけだった。
 このように、彼らの主張は「根本的矛盾」を抱えている。“最後の拠り所”も、すでに「破綻」済みなのだ。

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いまだ「草の根」を擁護する「脱会者ライター」の哀れ

2010年10月5日 コメントは受け付けていません

 凪論(10月3日付)というブログに、15年前に不幸な転落死を遂げた朝木明代東村山市議(当時)の追悼集会の様子が報告されたなかで、当日あいさつした人物の名前や様子が描かれている。そのなかで、わざわざこの集まりに参加し、話をした2人のジャーナリストの内容が出てくる。名前を「段勲」さらに「乙骨某」といい、いずれも教団脱会者として知られる。
 段はそうした「出自」が恥ずかしかったのか、過去の月刊誌の対談などで“出自隠し”のための工作を盛んに行ったことで知られる人物であり、一方の乙骨某は、創価大学卒であることを“唯一の売り物”として、反教団活動をつづけてきた。ふたりに共通するのは、「脱会者」という立場を利用して、腹にいちもつをもつ身でありながら、ジャーナリストという社会正義のために動いているかのように装い、活動を続けてきた点にある。
 だが、今回のように、あの「デマ事件」から15年もたってすでに大方の「真相」が明らかになっている段階で、わざわざ好意的に集会に参加したという事実は、後世の人々から見れば、わかりやすい事象として映るだろう。要するにこの2人は、アンチ教団の立場という「色眼鏡」でしかものを見れない性向をもつため、転落死事件の本質が何も見えていないということである。
 「草の根」を“主導”してきた矢野穂積という人物の「異常」といっていいほどの「人格特性」――さらにそうした人格特性から派生する朝木直子・朝木明代との親密な関係。そうした渦中で起きた朝木明代の万引き事件と隠ぺい工作。その流れの中で惹起した明代の転落死事件。さらに「仮想敵」をつくりあげ、責任転嫁に躍起となった一連の行動。そうした意図的行動(世論操作)に、まんまと乗せられた能力低きジャーナリストたち。
 要するに、矢野穂積は、事実的根拠もなく、特定教団などに難癖をつけて生きてきただけの人物であり、その行動様式は、根拠なく言いがかりをつけて自己利益を図ろうとする「どこかの国」とまるで瓜二つである。
 繰り返すが、東村山市議転落死事件の「真相」は、矢野穂積という人物の「特異人格」に立ち入らない限り、何も見えてこない。所詮、「人間」を観ることのできないジャーナリストに、「事件」を見ることなど無理なのだ。

 【凪論】 http://blog.livedoor.jp/patriotism_japan/archives/51698728.html

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