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堕ちた元委員長  96  ぶざまな党首

2011年2月4日

 元政治家の「矢野絢也」は、公明党にとっては第4代の委員長にあたる。今から振り返ると、就任当初から、これほど“ぶざまな党首”もいなかった。
 矢野が党委員長に選出されたのは1986(昭和61)年12月5日、第24回党全国大会の席上だった。同じ日にタイミングを合わせるように発売された「月刊現代」誌上には、“矢野絢也新委員長のアンタッチャブル金脈”と題する13ページにわたる詳細なレポートが掲載されていた。
 記事には「“清潔な公明党”が泣く!?」との副題が添えられ、「公明党の国会議員で、地元のほかに、東京に家を持っているのは矢野だけ」 といった関係者のコメントをはじめ、矢野の金脈に関する内容がこれでもかとばかりに列挙されていた。このレポートでは、結論部分において「皮肉なことに、矢野こそ、体質を変えた公明党のシンボル」と記述され、「矢野新委員長誕生でも、公明党の展望は開けそうにない」とも書かれていた。これらの点は、その後の展開において、まさにその通りになった。
 ともあれ、矢野は冒頭の党大会における就任演説において、全国から集まった党所属議員や党員に対し、次のように呼びかけていた。
 「代議員の皆さん! 本会議に参集された全国の党員の皆さん! 私たちは『大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく』との立党の精神を、いま一度思い起こし、『民衆に愛される公明党』として前進することを決意しようではありませんか」
 矢野はこうした発言から舌の根も乾かないはずの翌月、既述のとおり、明電工関係者の10億円株取引に“関与” し、委員長就任からわずか半年後にも、国会会期中にもかかわらず、自宅で2億円の札束を業者に直接手渡していた。いずれも個人的な資産形成が目的とされている。
 これら2つの事件の発覚がきっかけで、矢野は2年半後の89年5月、委員長職の辞任に追い込まれる。公明党の歴代委員長において、「政治とカネ」が原因で立場を追われたのは、今のところ矢野が最初で最後だ。
 矢野は上記のように「立党の精神を思い起こそう」と党内に呼びかけながらも、自らはそうした気持ちはさらさらなかったようで、これらの言葉を平然と踏みにじる行動をとっていった。つまりは、「民衆に愛される公明党」を目指すどころか、国民にあきれられる政党におとしめた張本人こそ、矢野自身にほかならなかった。
 それでいて肝心の当事者は、事件発覚当時から、そうした事実を一切認めることなく、「二枚舌」を使ってのらりくらりと言い逃れてきた。それだけでなく、事件から20年以上すぎたいまも、そうした態度を一切変えていない。矢野にとって、公僕としての「良心」など、なきに等しいと言ってよいだろう。

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