ホーム > コラム, 矢野絢也 > 堕ちた元委員長  93  旧大蔵族の責任

堕ちた元委員長  93  旧大蔵族の責任

2011年1月25日

 今日付の朝日新聞をながめていてぎょっとする場面があった。編集委員の織田一という人が「記者有論」というコラムで2020年代の日本を想像して書いていたなかで、日本で人民元が使われている光景を描写していたからだ。日本の国家財政が破綻し、中国経済圏に組み込まれた結果、国内で円が使われる機会が減り、中国の通貨である人民元が使われるというものだが、読んでみると現実味のない話ではないことが理解できるから、一層恐ろしくなる。
 近年の日本政治の最大の特徴の一つが、負担を次世代にツケ回しする政策にあったことはまぎれもない事実であろう。「破綻」は逃れられない路線にもみえる。だが本当の問題は、そこにあるわけでもない。大きな危機を等身大のものとしていまだ受け取っていない多くの国民、あるいはそうした状況をいまだにつくり続けているメディアや政治状況にこそ、問題の本質があるように思えてならない。政治家はこの国の急務の課題がそこにあることをわかっていながら、有権者のしっぺ返しを恐れてか、真実を語る「勇気」をもたない。真の意味の「国士」が存在しない状況だ。
 日本の財政破綻の「兆し」に早い段階で警鐘を鳴らすべきだった人物の筆頭に、野党の最高幹部を長年つとめ、大蔵省にも強いパイプをもっていた元政治家「矢野絢也」がいる。同人が、国民のためという党の立党理念を体現する存在となっていれば、少しはその働きも変わったものになっていたかもしれないが、実態は逆だった。同人にとって、政治は己を捨てて国民に奉仕するための場所ではなく、むしろ自分や一族の資産形成を図るための、私欲をむさぼるための場所にすぎなかった。
 だからこそ、こうした「国難」に直面しても、そうした事態などまるで関係ないかのように振る舞うことができる。そうした状況をつくった責任をつゆも感じることはない。この手の“元政治家”にとって大事なことは、国の行く末を憂えることではなく、自分がかつて犯した不祥事を世間から忘れさせ、自分がいいように振る舞いたいとの「自分勝手な感情」に動かされているにすぎないからだ。

広告
カテゴリー:コラム, 矢野絢也
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。