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騒動の最中に「離婚」していた矢野穂積

2011年1月12日

 女性市議の“ためらい自殺”をオウム真理教事件にかこつけて宗教団体による暗殺であるかのように吹聴した「東村山デマ事件」。デマの発信源は現東村山市議(4期)の矢野穂積だった。その矢野にとって、1995年という年は私生活においても変動の年だったようだ。
 同年4月、東村山市議会議員選挙に初めて立候補した矢野は立候補者34人中28位で落選(定数27)。当選まで52票足りなかった。その矢野がどうしても議席を欲しがったためか、4位当選の朝木直子に当選を辞退させ、繰り上げ当選して議席をかすめ取った行為が、「議席譲渡」事件として全国区の社会問題となった。“議席のたらい回し”“議席の私物化”などと市民から批判の声は強く、同じ会派に所属していた現職議員の朝木明代にも多大なストレスがかかったものと思われる。
 その明代が市内の洋品店で万引き事件を起こしたのは6月19日。矢野らは、万引き事件をなかったものにしてしまおうと、さまざまな「工作」活動を繰り広げる。洋品店へ直接訪問し、脅しの言葉を投げつけ、「被害届」を撤回さえようとするなどさまざまに動いた。その甲斐もむなしく、最後は矢野と明代でファミリーレストランで食事をしていたことにし、虚偽のレシートを東村山署に提出。警察の捜査でアリバイ工作のウソが暴かれ、さらに窮地に陥る。そうして9月5日に矢野と明代が東京地検八王子支部に出頭を命じられていた矢先の1日夜、明代はデマ事件の発端となる転落事件を引き起こし、翌朝帰らぬ人となる。
 こうしたどさくさの中で、矢野穂積は前妻と離婚。何が主たる要因となったかは定かでないが、朝木家で過去に「親族会議」まで催されていた事実からすると、矢野穂積の前妻の耳にも、矢野と明代の親しすぎる関係の噂は、当然ながら入っていたものと推測される。

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カテゴリー:コラム, 矢野穂積
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