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朝木明代が最期に見た風景

2011年1月10日

 年末、何度か東村山に足を運び、朝木明代市議が95年に転落した現場を含めて歩いてみた。転落現場となったロックケープビルはいまもそのまま残っている。ただし周囲はさま変わりしていて、ビルの1階に入っていたモスバーガー店はすでにないし、裏手の駐車場には政治家の事務所などが入った建物が建っていて、当時の状況とはかなり異なっている。
 ビルの5階にのぼってみた。転落したとされるのは、5階と6階の間にある階段部分の踊り場だ。そこから見える光景。まだ夕方の暗闇に包まれていない時間だったが、そこから見えたのはまぎれもなく「草の根事務所」の方角だった。転落現場に立つのは3度目だと記憶しているが、そうしたことにこれまで気づかないできた。
 95年の事件当時、朝木明代市議は転落を決意しながらも、そこから勢いよくダイビングする勇気はなかった。そのため手すりを乗り越え向こう側に落ちた瞬間、手すりにぶらさがる格好となった。ただし女性の腕力ではそこからはい上がるすべはなく、そのまま真下に落下した。そのとき、恐怖心からか「キャー」という声を発したようだ。典型的な“ためらい自殺”といってよい。運悪く、地面からやや離れて設置されていた金属製のフェンス上部に脇腹をしたたかに打ち付け、死亡の一因となっている。
 当日、朝木明代市議は現場周辺や自宅を含め、何度も付近を往復する姿を目撃されていた。すでにこのときから、彼女は死に場所を求めてさまよっていた可能性がある。事前に何も考えることなく、最終的にこのロックケープビルにのぼったとは考えにくいからだ。同市議は最後はくつをはかないまま、この現場から転落した。
 事件当時、くつをはかないで歩いている姿を目撃されなかったのは拉致された証拠と遺族側は主張したが、現場を歩くとそれは説得力のない主張であったことが容易に理解できる。確かに朝木市議の自宅から現場までの7分間をすべて素足で歩けば、必ず目撃者がいたはずだ。途中、大きな踏切を通る必要があるし、必ず人とすれ違うからだ。ところが、素足で歩いたのが草の根事務所からビルまでの2分間だけとしたらどうか。
 夜10時前の時間帯である。人とすれ違わずに済む可能性はじゅうぶんにあった。そうした距離的な観点からも、草の根事務所から転落現場のビルまで素足で歩いた(走った)可能性は補強的に裏づけられる。
 朝木明代市議は自らの「転落現場」として、なぜそのビルを選んだのか。
 草の根事務所から東村山駅に向かう途中にあるビル。彼女にとってはいつも必ず目に入る場所であったことは間違いない。あそこから飛び降りれば死ぬことができるかもしれない‥‥。そうした思惑がすでに心の中に芽生えていたか、あるいは定着していたものと思われる。

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