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9時19分から10時までの「40分間」をどうよむか

2011年1月8日

 東村山市議だった朝木明代という女性が1995年9月1日の夜、西武新宿線・東村山駅東口のロータリーに面したビルの5階付近から転落し、翌日未明に死亡した。実際に転落する午後10時までの40分間に何があったかを解明することは、この事件の「本質」を知るうえで重要なことと思われる。
 9時19分、朝木明代は自宅から草の根事務所にいた同僚市議の矢野穂積に電話を入れる。「気分が悪いので少し休んで行きます」。昨日書いたように朝木の自宅から事務所までは徒歩3~4分、事務所から転落現場のビルまでは徒歩2分の距離だ。つまり、自宅からビルまで歩いても合計で6~7分ということだ。40分間からその時間を引くと、残るのは33分程度となる。
 朝木市議の言葉どおりに受けとると、電話のあと「少し休んだ」はずだから、10分から20分は横になるなどして休息したはずである。つまり、40分間のうちの前半部分は、自宅において過ごしたということになる。
 事務所で行うべき夜なべ仕事を残していた朝木市議は、やがてやおら立ち上がり、自宅を出た。事務所に着く。時刻はすでに9時45分をすぎていたころではなかったかと推測する。そこで何かが起きた。
 朝木市議はその場をくつも履かずに飛び出していく。なぜなら遺体の足の裏には、一定の距離を素足で歩いた痕跡が明確に残されていたからだ。このことは東村山署による検視結果によって明らかにされている。同様の事実は、95年12月の東村山署の発表、さらに97年の東京地検の発表でも述べられている。なぜ朝木市議は「素足」という、異常な形で事務所を飛び出したのか。当然ながら、それにふさわしい何らかの感情的ないきさつがあったにちがいない。
 事務所から転落現場のビルまで歩いて2分。エレベーターが1階に停止していれば、それに乗り込んで5階か6階まで行くのに、さらに約30秒ほどかかる。つまり、2分ないし3分あれば、事務所からビル現場までたどりつくことができるのだ。
 朝木市議がはいていたくつは最後まで見つからなかったものの、実際は、同じくつと見られるものが9月2日の早朝、草の根事務所内である新聞記者によって目撃されていた。同じ日に再びその記者が事務所を訪れると、そのくつは忽然と消えていたという。そうして9月4日の朝木市議の葬儀が終わり、東村山署は事務所への立ち入り調査を求めたが、草の根は拒絶した。断ったのは、矢野穂積本人である。
 さらに朝木市議の自宅も、彼らは警察捜査をさせなかった。「他殺だ」「謀殺だ」と声高にわめいていた人々が、その前提ともなる最大の証拠となる現場を、調査させなかったのである。
 当然ながら、明代が拉致されたと彼らが主張した自宅が、実はなにもそんな痕跡が残っていないことが明らかになれば、彼らの主張する謀殺説にとってはこの上なく都合が悪い。謀殺説の根拠を失ってしまうからだ。同じく、事務所内で靴に関する証拠が見つかったり、しつこく追及されたりすると、ボロが出かねない。
 殺人説を最も強く主張していた当事者が、草の根事務所と朝木自宅の捜査を警察に行わせなかっただけでなく、警察の事情聴取にもすみやかに応じなかった理由も、いまとなっては明白であろう。
 要するに朝木明代の「謀殺事件」なるものは、朝木明代の万引き事件における「アリバイ工作」と同じく、『工作』によって“人為的につくられた”ものにすぎなかった。
 その背景にあったのはなにか。当然ながら朝木市議が万引き事件で立件間際まで追いつめられ、朝木市議だけでなく矢野穂積も地検への出頭要請を受けていたという差し迫った事情があったことに加えて、その当時の朝木明代、矢野穂積、朝木直子という3者間の「複雑な人間関係」が横たわっていた可能性がある。

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