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日本の創価学会報道が「貧困」な理由

2011年1月4日

 明日発売される月刊『潮』2月号に、作家の佐藤優氏の講演した際の内容が10ページにわたって抄録されている。昨年11月に福岡市で行われたものというが、そのなかに、潮という媒体に寄稿したことで中傷を受けた経験についてもふれている。そのまま引用しよう。
 
 もうひとつ、『潮』に寄稿した後に受けた中傷がある。
 「佐藤は創価学会からカネをもらっているのではないか」
 「潮出版社がとてつもない原稿料を支払ったのではないか」
 と言われた。しかし、創価学会からカネをもらったことはないし、『潮』の原稿料も、『文藝春秋』や『新潮45』よりも低い。もっと報酬の高いメディアはたくさんある。創価学会が有識者をカネで買っているかのごとき都市伝説には根拠がないというのが私の経験だ。この時に私は実感した。現在、日本には明らかに「創価学会タブー」が存在している。世間で言われているような「学会は力があるから、メディアが悪口を書けない」というタブーではない。その逆のタブーである。
 創価学会に関する悪口はいくらでも書ける。しかし、創価学会の役割や功績を、客観的事実に基づいて述べたり、客観的に評価したりすることがマスメディアでは難しいのだ。

 上記の文章の特に後半部分に、日本のおける創価学会報道の貧困ぶりの「根拠」が短的に示されていると私は実感する。創価学会のような(今では)大きな教団が、単に負の理由だけで存在しているわけはない。どの団体・組織もひとりの人間と同じく、長所と短所を備えているのがふつうであろう。にもかかわらず、「短所」のみをあげつらい、あるいはそれをデッチ上げてまで行おうとするのは、明らかにルール違反である。その「役割や功績」についても客観的に評価するのが、バランスのとれた報道というものであろう。過去における日本の創価学会報道の歴史は、まさにそのような“負の歴史”でつづられてきた。
 たとえば、教団への「悪口」や揚げ足取りのみでこれまで“商売”を続けてきた乙骨某や段勲、さらに溝口敦などが、教団の「役割や功績を、客観的事実に基づいて述べたり、客観的に評価したりする」ことはついぞできない話だろう。それは彼らの創価学会報道にかかわってきた「動機」に深くかかわっている。

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