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Archive for 2011年1月

堕ちた元委員長  94  「平気で嘘をつくタイプ」

2011年1月31日 コメントは受け付けていません

 「嘘はダメです小沢さん」と題する今日付の産経新聞のコラムにおいて、同紙の政治部長が次のように書いていた。「彼は自己正当化のためなら平気で嘘をつくタイプの人間だからだ」。その理由として、最近の週刊文春のインタビューで小沢氏が述べた言葉が嘘だらけだなどと主張する。例えば、新聞に公開討論会を開こうと呼びかけてきたが実現したことがないなどの小沢氏の言葉を引き、「私は4年近く政治部長を務めているが、そんな呼びかけをもらったことは一度もない。逆にインタビューを何度も申し込んでいるが、受けてもらったためしもない」などと指摘している。
 私は政治家というのはもともと大なり小なり「自己正当化のためなら平気で嘘をつくタイプの人間」だらけと感じているが、ここで指摘された事実だけで「自己正当化のためなら平気で嘘をつくタイプの人間」と書いてしまうのなら、元政治家の「矢野絢也」など、どうなってしまうのだろうかと疑問をもたざるをえない。矢野の「平気で嘘をつく」度合と比較してみると、矢野のそれはむしろ「詐欺師」のレベルに達しているとさえ感じるからだ。
 1988年12月、当時党委員長の立場にあった矢野絢也は、朝日新聞のスクープによって不明朗な金銭スキャンダル(明電工事件)を取りざたされた。このとき矢野は翌日に朝日新聞社を名誉棄損で刑事告訴し、さらに関係を指摘された主要人物について「会ったこともない」などと答えた。にもかかわらず、翌日になると「会ったかもしれない」「何度か会った」などと“変遷”し、最終的には実際には何度も会っているどころか、昵懇の間柄であったことが判明した(刑事告訴はその後こっそりと“取り下げ”)。
 矢野の自宅でやりとりされた2億円もの札束についても、矢野は自分の秘書の融資の仲介などと理由にもならないウソを繰り返し、「自己正当化のためなら平気で嘘をつく」道を貫いた。そうした一連の“驚くべきウソ”は、それから22年たったいまも、ずっと継続されている。
 矢野は「自己正当化のためなら平気で嘘をつく」どころか、20年以上もの年月にわたり、極端なウソを平気で維持してきた。さらにそうした嘘を隠すのみならず、教団攻撃を加えて行うことで、自己正当化を二重に“上塗り”してきた。その意味では、単なる嘘つきのレベルでなく、「詐欺師」に近いというのはそういう理由からだ。
 矢野はまさに、「自己正当化のためなら平気で嘘をつくタイプ」の≪有段者≫にほかならない。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也

禁酒の効用

2011年1月30日 コメントは受け付けていません

 思うところあって、今年は元旦から一滴も酒を口にしていなかった。ただし付き合いなどもあって、この2日間ほど1か月ぶりに「禁」を破ってしまった。主に体調管理を目的とした行動だったのだが、近年、酒を飲んだ翌日や翌々日は極端に頭の回転が鈍るようになってしまった。この際と「実験」をかねて断酒を敢行してみたところ、すこぶる体調は良好で、脳の働きも快調だった。アルコールをいったん口にすると、どこまでも吸収する体質であるせいか、しばしば飲みすぎに陥る。酒を飲みながらの会話はどうしても時間が長くなりがちで、あまり効率のいいものにならないことも多い。そんな束縛から“解放”された快感を今月は感じていた。今年はよほどの付き合いがない限り、この方針をつづけるつもりだ。といっても個人の体質にも関係することなので一概に論じられないことは承知の上だ。毎日浴びるように酒を飲みながら、きちんと生活している人はいくらでもいる。

カテゴリー:コラム

「倒閣へ完全転換した」と報じられる公明党

2011年1月29日 コメントは受け付けていません

 各紙とも、公明党が倒閣にかじを切った旨の報道が目立つ。今日付の産経新聞は「公明 倒閣へ完全転換」の見出しを立て、昨日の参院本会議代表質問で山口那津男代表が舌鋒鋭く菅首相に迫ったことや、27日の衆院本会議で井上義久幹事長が首相に衆院解散か内閣総辞職を求めたことにふれ、「公明党は菅政権との対決姿勢に完全に入った」と記述した。同記事はさらに学会地方幹部の、「学会と敵対する矢野絢也元公明党委員長の叙勲に始まり、連携を真剣に考えるに足るメッセージは一つもなかった。今や首相サイドと交渉し、それが表に出たら誰であれ地位を失いかねないほどだ」との発言まで紹介している。
 報道を見る限りにおいては、公明党は、統一地方選後の衆院選挙をすでに視野に入れているようだ。菅政権が公明党の協力を得られないのも、自らのこれまでの行動が招いた“自業自得”の感が根強くある。

カテゴリー:コラム, 民主党

「産経新聞」が識者コメントを“捏造”して掲載

2011年1月28日 コメントは受け付けていません

 今日付の毎日新聞によると、産経新聞が19日付朝刊で福島県立医大講師の談話としてコメントを掲載したものの、実際には講師に取材を行っておらず、談話を“創作”した疑いが高いことが明らかになった。問題となったのは、京都市などで開かれていた「人体の不思議展」に関する記事で、同展は人間の「遺体」を展示したものとして問題になっていた。講師は産経新聞側の謝罪を受け入れ、いちおうの解決を見たという。

 【毎日jp】 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110128k0000m040141000c.html

カテゴリー:コラム, 産経新聞

核兵器廃絶に向けた提言  1・26「SGIの日」

2011年1月27日 コメントは受け付けていません

 毎年1月26日の恒例となる池田名誉会長による「SGIの日」記念提言が26、27日にわたって聖教新聞紙上に掲載された。「轟け! 創造的生命の凱歌」と題する提言は、合計7ページほどの分量で、後半は主に核兵器廃絶がテーマに。2015年に広島と長崎で核拡散防止条約の再検討会議を開催することを具体的に提言するとともに、「核兵器禁止条約」の早期制定などを呼びかける内容となっている。SGI(創価学会インターナショナル)としても、広島と長崎への原爆投下から70年となる2015年を一つの目標とし、青年層を中心に「核兵器のない世界」への潮流の水かさを増すとともに、創価学会の牧口常三郎初代会長が提唱した「人道的競争」に取り組むことなどを呼びかけている。

カテゴリー:コラム

財政破綻の戦犯は?

2011年1月26日 コメントは受け付けていません

 ここにひとりのがん患者がいるとする。がんを患っていることは初期のころからすでに家族の間でも知られていたし、心配もされていた。だが、これまで家族は「まだだいじょうぶ」と言い続け、根本的な治療を受けることを強く主張することもなく、避け続けてきた。多くの負担を伴うし、そのほうが楽だったからである。そのため、患者本人も「そんなものか」と深く考えることもなく、これまで来たのだったが、もうだれが見ても末期症状に近くなった。がん細胞はいまや全身へと転移し、いつ亡くなるかわからない状況になってきた。
 いまの日本の財政が置かれた現状をわかりやすく説明すればこんなものであろう。そのため、時の民主党政権が、“手遅れ患者”に執刀する意図だろうか、「この人は名医です」と言ってライバル病院から引き抜いて連れてきたのが、「与謝野馨」というがん細胞に関する知識にかけては周囲を凌駕するといわれる医者だったというわけである。今日付の産経新聞のコラムで、元検事総長が次のように指摘していた。
 「財務省の統計によると昭和54年の公債残高は56兆円であったが、20年あまり前の消費税導入時には161兆円に膨らみ、昨年度には637兆円にまで達した。税収より赤字公債のほうが大きい国家歳出など続けられるはずもなく、年金、医療、介護といった社会保障制度の設計などできるはずもない」
 「(民主党政権が)いかなる動機と見通しをもって政策転換したのかは知る由もないが、この問題を国民と国会の前に提起した意義は等閑視されるべきではあるまい」
 それはその通りだと思う。
 こうした事態に立ち入ったそもそもの「原因」の一つは、問題の所在はわかっていながらも、有権者の反発をおそれてずるずると解決策を実行できないできた政治制度(選挙制度や政治形態)にもあると思われる。
 ともあれ、国家が財政破綻した場合、その「戦犯」として名指しされ、追及される対象となるのはだれか。その最大の政治責任が、かつての自民党にあることはいうまでもないが、連立のパートナーであった公明党も、その一員として指摘される可能性が高いことは、いまからはっきりと自覚しておいたほうがよい。
 それに比べれば、民主党の子ども手当法案に反対し、世論の反発を受けるかもしれないなどと今から心配することは、目先の選挙のことしか考えていない、浅い議論に思えてならない。

カテゴリー:コラム, 民主党

堕ちた元委員長  93  旧大蔵族の責任

2011年1月25日 コメントは受け付けていません

 今日付の朝日新聞をながめていてぎょっとする場面があった。編集委員の織田一という人が「記者有論」というコラムで2020年代の日本を想像して書いていたなかで、日本で人民元が使われている光景を描写していたからだ。日本の国家財政が破綻し、中国経済圏に組み込まれた結果、国内で円が使われる機会が減り、中国の通貨である人民元が使われるというものだが、読んでみると現実味のない話ではないことが理解できるから、一層恐ろしくなる。
 近年の日本政治の最大の特徴の一つが、負担を次世代にツケ回しする政策にあったことはまぎれもない事実であろう。「破綻」は逃れられない路線にもみえる。だが本当の問題は、そこにあるわけでもない。大きな危機を等身大のものとしていまだ受け取っていない多くの国民、あるいはそうした状況をいまだにつくり続けているメディアや政治状況にこそ、問題の本質があるように思えてならない。政治家はこの国の急務の課題がそこにあることをわかっていながら、有権者のしっぺ返しを恐れてか、真実を語る「勇気」をもたない。真の意味の「国士」が存在しない状況だ。
 日本の財政破綻の「兆し」に早い段階で警鐘を鳴らすべきだった人物の筆頭に、野党の最高幹部を長年つとめ、大蔵省にも強いパイプをもっていた元政治家「矢野絢也」がいる。同人が、国民のためという党の立党理念を体現する存在となっていれば、少しはその働きも変わったものになっていたかもしれないが、実態は逆だった。同人にとって、政治は己を捨てて国民に奉仕するための場所ではなく、むしろ自分や一族の資産形成を図るための、私欲をむさぼるための場所にすぎなかった。
 だからこそ、こうした「国難」に直面しても、そうした事態などまるで関係ないかのように振る舞うことができる。そうした状況をつくった責任をつゆも感じることはない。この手の“元政治家”にとって大事なことは、国の行く末を憂えることではなく、自分がかつて犯した不祥事を世間から忘れさせ、自分がいいように振る舞いたいとの「自分勝手な感情」に動かされているにすぎないからだ。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也