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日本共産党の最後の「陣地」

2010年12月15日

 かつて互いに批判し合わないことを約した10年協定を結んだ日本共産党と創価学会は長年、ことあるごとに衝突する関係にあった。同じ大衆層を基盤としてする組織的要因が大きかったが、その応酬は2000年ころが最後のピークになる。公明党が政権与党入りしたまもない時期と重なっていた。その後、2000年代の半ばころから、共産党は中央機関紙上においてもそうした行動をとらなくなったばかりか、ぴたりと方針転換した。背景には、党員の高齢化などに伴う組織基盤の弱体化により、外部勢力と闘争をつづける「余力」すら失われたとする見方が根強い。その共産党が唯一、現在も上記の方針を残存させているのが、訴訟対策上の分野で、教団と敵対する関係者の代理人に自らつき、情報収集も兼ねて行うといった“消極的手法” である。
 「あんなのはジャーナリストとはいえない」と非創価学会員の著名なジャーナリストからも声があがっている人物=乙骨某の起こしている裁判でも、日本共産党の弁護士トップを務めたような人物が代理人としてつき、訴訟を継続している。先日、東京地裁で行われた証拠調べでは、「しんぶん赤旗」の宗教担当として知られる社会部・柿田睦夫記者の姿も傍聴席に見られた。本日付の「しんぶん赤旗」には、同人のペンネームとみられるコラム記事が久方ぶりに掲載されている。いうまでもなく、同党の中枢の弁護士が関与するだけでなく、機関紙記者も公然とかかわっていることが明白だ。
 私事になるが、小生が過去に乙骨某を名誉棄損で訴えた裁判でも、乙骨側の代理人についたのは、共産党中枢の同じ弁護士だった。傍聴席にはたいがい、上記の柿田睦夫の姿が見られたのも同じである。乙骨らはこの裁判で最高裁において敗訴確定し、110万円の賠償金とその利息を支払った。もともと、この裁判の“原因”をつくったとされる問題の「本誌編集部」名の記事を書いたのは、実は赤旗記者とも見られてきた。
 乙骨某はこれらの問題記事の作成過程で、ほとんど「まともな取材」を行っていなかった。上記の「あんなの」とは、そうした乙骨某の基本的な職業姿勢を指して出てきた言葉である。

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カテゴリー:コラム, 日本共産党
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