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堕ちた元委員長  88  反学会人脈と連携する

2010年12月2日

 金銭スキャンダルが原因で唯一、委員長職を辞した元政治家の矢野絢也が、手帳を持ち去られた、寄付を強要された、評論家を辞めるように威圧された、聖教新聞などの記事で名誉棄損されたなどとして創価学会や関係者7人を訴えていた裁判で1日、東京地裁で15回の口頭弁論が開かれた。傍聴者は10人。なかには、教団関連の「デマ」に便乗して騒ぎを続け、名誉棄損事件で敗訴6回の記録をもつ乙骨某も含まれる。
 矢野は自著で「私は関西の輸送部隊長でした」「私はそのとき、初代の関西男子部長でした」などの自慢話はつづっているものの、肝心の関西方面の先輩格の男性は「矢野君は関西の中枢の戦いはやっておりません」と断言していることはすでに紹介したとおりだ。矢野は同じ自著で、「甲子園の雨の文化祭なんか印象に残っていますね」と述べたあとに、関西男子部長の話が出てくるのだが、そのとき矢野は府議会議員の立場にあり、文化祭の演目には直接タッチしていなかったという。それでも手柄を自分のものにしようとする姿勢だけは顕著である。ほかにも矢野の青年時代の信仰活動について関係者の声を耳にしたことがあるが、仕事にかまけて、教団の活動はいつも周りがバックアップしてしのいでいたという話は共通していた。
 その矢野絢也を支えている「一角」が、日蓮正宗関係者であり、あるいはそれにつながるジャーナリストである事実は、考えてみれば興味深い話である。上記の裁判に2回に1回の頻度で傍聴に訪れる乙骨某は、正信会という日蓮正宗と対立する分派組織の機関紙記者からスタートした人物だが、形勢不利とみるやいつのまにか、日蓮正宗側の活動をするように変化した。さらに乙骨の先輩格にあたる段勲は、20年前、同宗の法主である阿部日顕が、供養もずいぶんたまったからと学会教団を切って、「20万人が本山につけばいい」とするいわゆるC作戦発動に関し、日顕と「謀議」を行っていたブラック・ジャーナリストの一人として知られている。
 段と乙骨の共通点は、過去に学会教団に属していた「脱会者」という一点にあり、その活動経歴を利用して、仕事を続けてきた点にある。そのため、明らかなデマであっても、デマ発信源にいいように利用されてきたことは、東村山市議転落死事件をめぐる経緯をみても明らかだ。
 結論として、矢野絢也を支えている面々が、いつもながらの顔ぶれであることは知られるべき事柄であろう。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也
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