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堕ちた元委員長  83  大阪を捨てた人間

2010年11月15日

 矢野絢也は大阪で生まれ、大阪で育った人物だ。府議時代の選挙区は大阪市・生野区。衆院議員の選挙区は、東大阪市・八尾市などが中心だった。政治家としては、大阪を地盤に当選を繰り返し、そこで育まれた存在といってよい。代議士になって、矢野は地元の東大阪市に「豪邸」を構えたが、党委員長に就任する2年ほど前には、東京・新宿区にも「豪邸」を新たに建築。公明党国会議員のなかで、地元以外に家をもっているのは矢野絢也だけと揶揄された。
 1986年に党委員長に就任したものの、翌年には「東京の豪邸」で1000万円の札束20個を私的な株取引のために明電工幹部に手渡すなど、公務よりも蓄財に余念がなかった。東京・大阪の両方に「豪邸」をもてたのも、こうした錬金術のたまものだったといえる。だが、自分本位な金権体質は世間に露呈され、89年、委員長職を奪われる。翌年、総選挙が行われたが、不祥事で辞任した身なので、当然のように引退するかと見られていたが、矢野はひとり、もう一期続けさせてくれと頑張った。代議士としての期間が23年ほどで、あと1期つとめれば25年表彰などのさまざまな便宜が図ってもらえることを見越しての“姑息な頑張り”だった。
 当然、地元の支持者たちは、強烈な逆風のなかで、支援活動をせざるをえなかった。そのとき矢野は、当選したら支持者のもとを自転車に乗って一軒ずつ回るなどの口先だけのリップ・サービスを繰り返し、なんとか最下位にすべり込んだ。ところが、同人は当選後も、あるいは議員引退後も、支持者への恩返しを実行することはついになかった。要するに支持者らを利用するだけ利用し、必要なくなればあとは切って捨てたのである。
 99年には「大阪の豪邸」を売却。もはや、一族の資産形成のためには、「首都東京」のみで事足りるようになったのだろう。矢野が“大阪を捨てた男”といわれる所以である。
 矢野絢也の生きてきた軌跡は、一族の私的な資産形成のために自らの政治的立場を利用し、地元大阪の支持者を騙して生きてきただけである。政治家にはこうした「詐欺行為」を働く者が珍しくないが、崇高な立党精神をもつ公明党から、しかも党幹部から、こういう人間が出たということが問題となったわけである。

【参考年表】
1967年 衆議院議員のバッジをつける
1973年 「大阪の豪邸」を購入
1984年 「東京の豪邸」を建設
1986年 党委員長に就任
1987年 「東京の豪邸」で明電工専務に2億円を手渡す
1989年 党委員長職を引責辞任
1990年 最後の総選挙に出馬、最下位当選
1993年 政治家を引退
1999年 「大阪の豪邸」を売却・撤退

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