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堕ちた元委員長  82  勲章にしがみついて生きる

2010年11月13日

 矢野絢也の叙勲報道がなされた10月18日から実際に受章する11月5日まで、矢野はマスコミの取材に対し“沈黙”を決め込む形をとった。何か不要な発言でもすれば、受章が吹き飛んでしまいかねないとでも考えたのだろう。一転、勲章を受けた直後からマスコミに登場を始め、最初に出た思われる活字媒体は11月8日に発売された『週刊ダイヤモンド』(11月13日号)の宗教特集である。そこで同人は、「創価学会という『ブラックボックス』にすさまじいカネがうごめいていることは間違いない」などと述べ、まるで教団が脱税しているかのように指摘し、さらにこうつぶやく。
 「ここにきて学会員の2世、3世が学会員になるという『内輪化』が進んでいることが確かで、組織のダイナミズムは徐々に失われつつある」
 客観的な第三者の識者のコメントならわかる気もするが、この男はかつて関西の青年部トップの役職をもったこともある人物だ。いかに心の伴わない行動をしてきたかがにじみ出た発言ともいえる。
 最後には、お決まりの「自己正当化」の連発だ。教団から評論家活動を停止させられたとか、機関紙で名誉棄損されたとか、手帳をもっていかれたなどの「被害」なるものをいつもながらの口調で強調している。だが、大のおとながいかに働きかけがあったにせよ、いったんは自分の非を認めて評論家活動をやめると宣言し、さらには自分の心の変化が不安だからと他人に手帳を保管してもらった経緯の話である。
 公明党の初期の衆院議員、さらには党幹部として赤じゅうたんを踏んだ人間が、公明党の「立党理念」の遂行を忘れ、自民党の金権政治にまみれて、はては公務よりも一族の資産形成を優先するような『政治屋』になりさがった行動に対し、その支援団体が、善意の心情から、人間の生き方としての指導を加えることは何ら間違ったことではなかろう。
 支持者の恩義に応え、まだ間に合うから新たな気持ちで人生をまっとうにやり直すように忠告されたにもかかわらず、あべこべに“逆ギレ”し、支援者に後ろ脚で砂をかけて去っていったのが、矢野の「実態」である。
 世間はこの程度の“プロパガンダ”で騙せるかもしれないが、実際に砂をかけられたほうの支持者らは、今もいちように怒りを感じている。信頼を失った「元政治家」ほどみじめな存在はなかろう。
 矢野は自身の立場を内面では知悉しており、それを糊塗したい心情もあってか、実体の伴わない「勲章」にしがみつく生き方しかできなくなったのである。今後、こうした中途半端な人間を、二度と出してはならない。

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