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堕ちた元委員長  79  「大臣」になれなかった男のひがみ

2010年11月5日

 矢野絢也は1967(昭和42)年に衆院初当選して党書記長に抜擢されて以来、“政界仕掛人”などの異名をとり、政権工作に当たってきた。86(昭和61)年には第4代委員長に就任し、89(平成元)年に金銭スキャンダルで辞任するまで、政権をとることはできず、野党暮らしを続けた。そうして93年7月の総選挙で、同人は26年余りの国会議員生活に終止符を打つ。選挙後、自民党は下野し、8党派の連立政権が樹立された。
 当時の公明党も、労働大臣、環境庁長官、総務庁長官など、いくつかの大臣ポストを占めた。後輩たちの活躍を、素直に喜べなかったのが、スキャンダルで政界引退した男の率直な真情だったのかもしれない。『文藝春秋』などで支援団体などを批判する手記を書き始めるのは、そうした時期に当たる。“意趣返し”の心情があったのは明白だった。
 公務よりも一族の資産形成を優先させるような人物が起こした金銭スキャンダル「明電工事件」。身から出た錆(さび)にほかならないのに、その責任の矛先を矢野は自分以外のものに向けた。そんな矢野にとって、大臣経験すらなく議員生活を終えたことは、大きなコンプレックスにつながっていたようだ。知人の党関係者には、「大臣になるなら、官房長官会がいい」などと述べていた同人にとって、所詮、政治とは“金のなる木”でしかなかった。
 そんな人物だけに、今回、「赤い官房長官」こと仙谷氏に“ごり押し”してもらうことで得ることができた「旭日大綬章」という勲一等の受章は、年来のコンプレックスを解消するにはまたとない機会になったものと思われる。大綬章の親授式は本日、皇居でとり行われる。

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