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堕ちた元委員長  77  希代のペテン師をまねた二番煎じ

2010年11月1日

 矢野絢也の近年の行動は、その軌跡をたどると、まるで“希代のペテン師”山崎正友のそれと似通っていることに驚かされる。山崎は元教団の顧問弁護士で、金銭的に堕落し、信仰心を失い、反逆してすでに死亡した人物だが、同人が反逆の行動をあからさまにしたのは1970年代後半から。その手法は、職務上知り得た教団の内部情報に虚偽情報をまぶし、それを「週刊誌」上で“手記”として発表したり、記事化させるなどするものだった。さらに自ら単行本を執筆し、これまた都合よく虚偽情報をまじえて発表するという手口である。行動の根底にあったのは、教団を逆恨みした感情であり、“意趣返し”の側面が強かった。客観的にみれば、“身から出た錆(さび)”にすぎなかったものの、山崎の「怨念」に裏打ちされた行動は2008年末、同人が急死するまで約30年にわたり続いた。
 一方の矢野絢也は、その間公明党幹部の立場で、山崎の動きを逆のサイドから見てきた人物である。そのためか、矢野が“反逆の意思”を明らかにしてからの行動は、まさに山崎の“二番煎じ”というべきものだった。山崎と同じく、「週刊誌」に記事を取り上げさせ、世間の関心を集めるように仕向けたうえで、単行本を執筆して、社会問題化を図る。さらには山崎と同じく、職務上知り得た各種の情報に加え、虚偽情報を巧妙にまぶす手法も同じだった。行動の根底にあるの、やはり山崎と同じように、“意趣返し”の感情にほかならなかった。そうした状況に至ったのが、“身から出たさび”であったこともやはり同じ構図である。
 山崎は晩年、自ら多くの民事裁判を起こし、裁判漬けの姿となっていた。同じく矢野も、自ら起こした裁判がいまも続いている。法廷において平気で虚偽証言を行い、自己本位な主張を繰り返すのも、山崎と瓜二つだ。2人は関西にある同じ国立大学を出ている「先輩」と「後輩」の間柄にあたるが、矢野は意識するとしないとにかかわらず、先輩の山崎の行動をそのままなぞってきた。
 それでも“二番煎じ”はどこまでいっても“二番煎じ”にすぎない。矢野絢也の位置づけは、歴史的には、山崎正友のそれとほとんど同じものになると思われる。「法曹」と「政治家」という活動分野に違いはあったものの、自己本位に裏切っていった人生は、そのまま歴史に刻印されることになる。

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