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堕ちた元委員長  76  公明党から生まれた「最低の見本」

2010年10月28日

 この欄で主張してきたことは実は単純なことばかりだ。まず、(1)公明党議員は清潔に生きよということであり(2)支持者を裏切るな(3)自分よりも大衆(国民など)のために生きよ(4)私腹を肥やすな(5)幹部はそれらの手本を示せ――といったことだが、元政治家の矢野絢也はこれらすべての項目に“違背”して生きてきた。
 矢野は当初は他の公明党議員と同じく、まじめに仕事をしていた時期もあったが、代議士になって数年たったころから権力の魔性にたぶらかされ、あるべき“立ち位置”を見失ってしまった。私腹を肥やし、別荘や多くの不動産を手に入れるかたわら、原野商法にも手を出し、悪徳商法で支持者を騙して金銭的実害を与えた。
 これらはいずれも党書記長時代に着手されており、党委員長に就任してからも、資産形成を公務よりも優先させる自己本位な行動は、明電工疑惑によって世間に明らかになった。公明党出身議員として、党書記長として、あるいは党委員長として、明らかに「失格」した姿だった。
 さらに金銭スキャンダル以後も選挙に出馬し、支援者に多くの迷惑をかけた。だがそうした恩義に対し、同人が報いる行動をとったという事実は全く聞かれない。引退後も、自己本位に一族の資産形成のために動き、人間の道に明らかに違背していた。さらに信仰人としても、およそ合格点のつけられるレベルにはなかった。
 今回、時の最高権力者らと結託して、行政府から「勲章」を受けることになったのは、公明党議員がいずれもそうした叙勲を断ってきた経緯からすると、異例のことである。公明党出身議員として、自分がいかに「失格」の人生を送ってきたのか、そのことを自分の手で証明し、後世に永久的に残すことになる。
 その意味で、矢野絢也は、公明党から生まれた「最低の見本」ともいえよう。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也
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