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堕ちた元委員長  70  賢島の別荘

2010年10月15日

 大阪・上本町から近鉄特急で2時間半。同じく名古屋から近鉄特急で2時間ほど。三重県「賢島」駅はそんな距離にある。公明党書記長だった矢野絢也が、近鉄系ゴルフ場のクラブハウスから歩いて1~2分ほどの至近距離に、300坪以上の「別荘」を購入したのは72(昭和47)年7月下旬。田中角栄内閣が発足してわずか半月後のことだった。
 この別荘は84(昭和59)年1月に歯科系の財団法人に売却されるまで、登記上は矢野本人の所有だった。といっても、売られた先の財団は、矢野の元秘書Nが運営する法人で、矢野が自分の人脈をつかって“転売”したにすぎなかった。その後、別荘は元秘書Nの妻が代表を務める株式会社に売られるが、94(平成6)年6月には、矢野の一人息子である矢野清城が再び買い戻す形となった。さらにその後は、矢野と面識のあるグループ会社が2006(平成14)年に買い取り、いまでは関係のないヨットクラブ(株式会社)が所有するに至っている。この間の所有者の変遷を一覧にすると、次のようになる。

 1972年7月  矢野絢也
   84年1月  歯科系財団法人
   84年3月  元秘書の妻が代表を務める株式会社
   94年6月  矢野清城
 2006年9月  歯科系専門学校の関連会社
   08年8月  別の株式会社

 特筆すべきことは、84年に矢野から別荘を買い取った元秘書Nは、矢野絢也の党委員長時代、明電工疑惑で自宅において2億円を株取引のために渡したとされる問題が発覚した際、その“尻拭い”のために使われた人物であったことだ。要は、利権(金銭)がらみの“がんじがらめ”の関係にあったことが容易に推察される。

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