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20年で“破局”を迎えた朝木明代と矢野穂積の関係

2010年10月11日

 東村山デマ事件をルポした単行本の名作『民主主義汚染』によると、95年に転落死した朝木明代・東村山市議と矢野穂積が最初に出会ったのは1975年という。2人が「親密な関係になっていくのはその翌年のこと」とも記述されており、東村山駅近くの事務所を共同で借りたのは「82年の終わりごろ」とも。1階が喫茶店で、2階が事務所として使われることになったというが、この2階は「矢野と明代の活動の拠点となっただけでなく、2人がプライベートな関係を深めた場所でもあったようだ」という。矢野35歳、明代は38歳のころだった。
 『民主主義汚染』では、第2章で「草の根の来歴」についてまとめており、草の根の議会活動について詳述している。デマを使って相手を攻撃する行動や、機関紙で都合よく事実を捻じ曲げて宣伝する方法など、まるでナチスばりの手法で、「草の根」が東村山市内で勢力拡張してきた過程が描かれている。
 付言しておくが、“訴訟マニア”として知られる矢野穂積は、98年に出版されたこの単行本を名誉棄損で訴えたという事実は存在しない。要するに、記述内容については、矢野本人もがほぼ認めているに等しい内容の書物ということがいえよう。
 本書を読めば、矢野穂積にとって、なぜ明代の転落死が「自殺」であっては都合が悪かったかなどについてもはっきりと描かれている。その核心部分を以下に引用してみよう。
 「明代の万引きはすでに矢野にとって屈辱どころの騒ぎではなくなっていた。矢野が万引きのアリバイ工作に深くかかわり、それが最終的に明代の死につながったことを矢野は強く意識していた――。おそらく、矢野はそれをさとられることを最も恐れた、と。明代が死んだことでもとより、矢野にはアリバイ工作とともに、明代の死の真相についても自己利害をかけて隠蔽しなければならなくなったのである」(163ページ)
 本書では、矢野と明代が万引き事件を隠蔽する目的で、洋品店を教団関係者などと名指しした事実もきちんと記録されている。いずれも事実的裏づけのない≪完全なデマ≫にすぎなかった。矢野らが事実的根拠のないデマを使って相手を攻撃する手法は、議会内だけでなく、「議会外」でも共通していた。
 そんな矢野穂積らの行動パターンを≪活写≫した本書は、「草の根」の本質を浮き彫りにしたという意味で、「デマ男」らの行動に最初にくさびを打ち込む書物となったのだった。

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