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堕ちた元委員長  63  若者には“無名の存在”にすぎない矢野絢也

2010年9月27日

 菅直人首相が東京富士美術館を訪れたとの政治ニュースが報じられている。狙いが公明党の取り込みにあることは明らかだから、あまりにも「軽い行動」にしか映らない。過去にも自民党の小泉純一郎首相(当時)が南アフリカ訪問時にSGIの展示場に足を運んだ例はあるものの、菅氏の場合は事情がまったく異なる。同氏は公明党が生んだ「失格議員」矢野絢也を複数回にわたって永田町の議員会館に呼び、支援団体攻撃のための勉強会を催した際の責任者だからだ。つい最近まで、教団攻撃のための材料収集に躍起になっていた張本人が、いきなり教団系の美術館を訪れ、「すばらしい展覧会でした」などと見え透いたお世辞を述べたところで、事情を知っている者は鼻白むだけであろう。「矢野絢也を使ったことは間違いでした」と述べて行動するのなら、まだ話は変わってくるかもしれないが。
 その矢野絢也が、自宅で行った2億円の現金授受や株取引疑惑(いわゆる明電工疑惑)で、党委員長を引責辞任したのは1989年5月。当時18歳だった者で現在39歳、15歳だった中学生が36歳だから、「矢野絢也」といったところで、その名をしっかり記憶しているのは、40代半ばの世代が最後だろう。
 疑惑や金銭に潔癖な政党を目指して立ち上げた公明党にとって、矢野絢也はあくまで「失格」の元政治家の見本にすぎない。後世の同党議員にとって、真似をしてはいけない“反面教師”ともいうべき存在である。
 とはいえ、同人にとって更生の機会がなかったわけではない。93年に議員引退後は、信仰人として、かつての支持者に恩返しする選択もあったからだ。一方で同人がとった行動は、“希代のペテン師”らが執筆していた月刊誌に投稿し、間接的な教団攻撃で、議員引退のうさ晴らしをすることだった。その原稿はその後、自民党などから教団攻撃の道具としていいように使われた。恩を仇で返すとは、こういうことを指す言葉であろう。
 さらにその後も、支援団体側から行動を改めるように求める声は絶えることはなかったようだ。しかし、そうした声が強まると、矢野本人は一転、自身の不祥事を棚上げして「脱会」するに至った。さらにはあからさまな教団攻撃を開始した。「公明党の政治家」として失格しただけでなく、同人は「人間の道」においても失格した人物と見られている。そうした人物の行動に党利党略で真っ先に乗っかった一人は、現首相の菅直人氏である。

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