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堕ちた元委員長  62  “言い逃れ”の人生

2010年9月24日

 元政治家の矢野絢也が1972(昭和47)年に三重県賢島に買った300坪以上の別荘をはじめ、翌年、東大阪市に購入した鉄筋3階建ての豪邸、さらに74年に奈良県生駒市で買った山林など、合計6000万円近い購入資金はいまも闇に包まれている。本人はマスコミなどにこの点を指摘されるたびに、「不動産や株式を売却した」などと説明してきたが、そうした売却益ではとうてい及ばない金額であったことは、このコラムでたびたび指摘してきたことである。要するに、この程度の言い訳で国民を丸めこむことができるとの錯覚が露骨ににじみ出ている態度ともいえよう。元政治家・矢野絢也の人生を振り返って、一言で形容するとすれば、こうした口八丁の「言い逃れ」で一貫してきた人生ともいえる。
 党委員長時代の金銭スキャンダル「明電工疑惑」はその最たるもので、最初は明電工の関係者について、「まったく知らない」と言明しながら、その後はすぐに「会ったかもしれない」「秘書の仲介をした」などと記者会見での発言はクルクルと変遷し、記者らを呆れさせた。要するに、その場しのぎのウソでのりきれるとタカをくくった態度が明白だったからだ。その結果、国民は同人を“疑惑の政治家”とみなし、党委員長辞任に追い込まれただけでなく、党そのものも選挙で大敗を喫した。
 矢野の「言い逃れ」人生は、自身やファミリーが密接に関与した原野商法詐欺事件においても一貫している。この問題の被害者や、さらにそれを取材してきたジャーナリストなどに対し、知らぬ存ぜぬの態度を決め込んできた。それでも土地売買には登記簿などの明確な証拠が残る関係で、矢野本人がこうした「詐欺商法」に間接的に関与し、カネ儲けしようとした事実は動かしようがない。
 「カネ」と「言い逃れ」――。矢野絢也の人生を突き詰めれば、この二つの語句に集約される。いずれも公明党出身議員にはとうてい似つかわしくないものばかりだ。同人が「失格議員」とされる理由である。

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