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堕ちた元委員長  61  大林組から山林を「2000万円で買った」とうそぶいた矢野絢也

2010年9月21日

 元政治家の矢野絢也が奈良県生駒市に844平方メートルの「山林」を取得したのは、まだ田中角栄内閣がつづいていた1984(昭和49)年1月のことである。前所有者は大手ゼネコンの大林組で、矢野が議員になる前に勤務していた会社である。この土地はその後、大規模な都市開発の対象となり、いまでは一戸建て住宅4軒分ほどに変わっている。矢野がこの土地を“転売”したのは、時代をずっとくだった96(平成8)年になってからのことだ。まるで、事前に値上がりすることが確実との情報を得たうえで、安価な土地を取得したものとしか思えなかった。昨年3月、東京地裁の法廷で行われた本人尋問で、矢野は相手方弁護士からの質問に答えて次のように述べている。

 ――あなたは、昭和49年1月、生駒市北大和の山林を大林組から取得していますね。
  矢野 はい。
 ――この山林は、親密な関係にある大林組からただでもらったのではありませんか。
  矢野 失礼なことを言わないでください。
 ――それでは幾らで購入しましたか。
  矢野 たしか2000万円足らずだったと思います。
 ――2000万ですか。
  矢野 はい。
 ――購入代金はどうやって工面しましたか。
  矢野 いろんな不動産、株式を処分して買っておるわけです。

 すでにこのコラムで何度も指摘してきたことだが、この昭和49年以前においても、矢野が不動産を売却したという証拠は、実はどこにも存在しない。まして売却した株式など、その金額は微々たるもので、とうてい「2000万円」には及びそうにもない。昭和40年代の2000万円といえば、その価値はいまとはまったく異なっており、優に億単位の価値があったことは明白だ。
 矢野絢也はこのように巧みに“言い逃れ”をつづけることで、これまで生き延びてきた。
 ちなみに96年に転売された売却益は、そのまま、現存するエレベーター付3階建ての豪邸(自宅)の土地・建設費に転用されたことも、時期的には明白だ。
 仮に公明党代議士になってなければ到底得ることができなかった「政治的立場」を利用し、有利な行政情報に接し、一家の資産形成に役立ててきたことがうかがえる。もとをただせば、清潔な政治を目指して無償で活動をつづけてきた一人ひとりの支援者の努力で当選を続けたはず矢野が、そうした努力の結果得ることができた「立場」を国民のためでなく、自身の資産形成のために使ってきたことの証(あかし)である。
 いうなれば、矢野夫婦が現在のうのうと住む東京新宿区の「豪邸」は、実はこうした庶民の努力なしには存在しなかったものであり、矢野夫婦は、そうした庶民の血と汗を“足蹴”にして、暮らしているようなものである。

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