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“利用された死”を悼む――あれから15年

2010年9月2日

 ちょうど15年前の95年9月1日夜、東村山市で不幸な転落事件が起きた。「万引き事件」を引き起こした女性市議による、その罪を認めることができない政治的立場からの“ためらい自殺”と見られた。翌日午前、女性は帰らぬ人となる。転落したビルには、女性が転落する際にぶらさがったと見られる痕跡が手すりにくっきりと残され、他人に突き落とされたときに見られる放射線状の転落でもなかった。さらに転落前に、女性が第三者と争った形跡も皆無だった。女性は、転落して30分後ほどにハンバーガー店の女性アルバイトらに発見されたが、救急車を呼びましょうかとの問いかけに、「いいです」と断っている。女性はその後、意識を失った。東村山市では有名な市議会議員で、名前を朝木明代といった。
 救急車がサイレンをならしてかけつけたとき、女性の使っていた会派の事務所には、同僚市議の矢野穂積がいたと思われる。女性がいないと大騒ぎを始めていたころだったから、サイレンの音を聞きつけて、現場に向かってもおかしくなかった。だが彼はそうしなかった。
 その後、転落した女性市議が靴をはいていなかったことが問題となり、靴がどこに残されているかが事件を占う一つの争点となった。最も靴がある可能性の高かった「事務所内」の捜索を、なぜか矢野は拒絶した。そうして矢野は、警察捜査の終わっていない段階から、「教団謀殺説」を繰り返し主張するようになった。
 結論からいうと、朝木明代市議の痛ましい死亡事件は、その後、生き残った者たちの手によって、いいように“利用されてきた死”にほかならなかった。これでは死亡した女性市議は浮かばれない。仮に女性が15年後のいまも生きていて「現状」を見ることができるとすれば、自分の死が、「事実」とかけ離れたところで、いいように利用されてきたことに憤慨するのではないか。矢野穂積のとった行動は、まさに“ペテン師”のそれである。

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カテゴリー:コラム, 矢野穂積
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