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Archive for 2010年9月

党規約を改正した朝鮮労働党

2010年9月30日 コメントは受け付けていません

 今日付の日本経済新聞によると、北朝鮮の朝鮮労働党は30年ぶりに党規約を改正し、党規約の序文から「国際共産主義」の文字を削除したという。いまから半世紀以上も前には常識だった言葉が、あらためて姿を消すことになる。
 50年以上も昔、共産主義陣営は世界の主要な一角を占め、各国の共産党は「兄弟党」として固い契りをかわしていた。日本の共産主義政党である日本共産党も、朝鮮労働党とは「兄弟党」として、在日朝鮮人の帰還運動などにも積極的に貢献した。いまそれらの帰還者は悲惨な境遇に落ち、“脱北”して日本に密かに戻る例が絶えない。これも、「共産主義」国家をめぐる一つの現実の姿である。
 「共産主義」の実験が≪失敗≫に終わったことはすでに明白であっても、依然、東アジアにはそれが現実の形として残っている。民主主義の根付いていない周辺国に日本は振り回され続けているが、共産主義国は民主的国家とは「違う価値観」の中に生きていて、その隔たりはあまりに大きい。

カテゴリー:コラム

堕ちた元委員長  64  官房長官になりたいと“変節”した男

2010年9月29日 コメントは受け付けていません

 1989年、公明党委員長だった矢野絢也が明電工疑惑という金銭スキャンダルで“火だるま”になっていたころ、当時、大阪府議会議員だった男性が矢野と懇談する機会があったという。その人物は雑誌の取材にこう答えている(財界にっぽん・2006年10月号)。
 「わては、あのとき明電工事件の報道を聞き、これは当然のごとく引退するより他ないなと思いました。事件が発覚した後、会う機会がありましたので、矢野はんに直接引退を勧めました。すると、驚くべきことを言うたではありませんか。“もう少しで大臣になれるのに引退なんかできるか!”と。ああ、この人は完全に権力欲に支配されてしもうたな、と失望させられたことを、昨日のことのように思い出しますわ」
 さらに証言は次のようにつづく。
 「あるとき矢野はんに、大臣になるんであれば、何大臣になりたいですか、と聞いたことがあります。福祉を重要視してきた公明党だけに、きっと厚生大臣と答えるに違いないと確信し、また期待もし、耳をそばだてました。しかし、矢野はんはこれまた期待を裏切り、“大臣になるのであれば、官房長官だ”と答えたんです。肩すかしをくらった気分になり、その意図がわからず、理由を問うたら、“官房長官になれば、機密費を自由に使いこなせるからや”と矢野はんは平然と語りました。ああ、権力欲と金銭欲に支配されたら、こんなに人が変わるのかと驚き、失望したことを覚えとります」
 いま、その矢野絢也は、自分の一人息子を民主党代議士の秘書に送りこみ、その代議士が“機密費を自由に使いこなせる”「官房長官」の職にある。直接・間接に連携をとりあっている関係にあると思われるが、そうした政治指南の見返りに、機密費を要求している可能性はおおいにある。“赤い官房長官”の後ろに、金銭に堕落した「失格議員」がいるという事実を、銘記しておいたほうがよい。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也

過去には「日本領土」と認めていた中国政府  尖閣諸島問題

2010年9月28日 コメントは受け付けていません

 今日付の毎日新聞が「記者の目」の欄で、元北京支局長による「尖閣の紛争が問いかけるもの」と題する記事を掲載している。それによると、中国政府はすくなくとも1971(昭和46)年までは尖閣諸島について公式に日本の領有権を認めていたことを指摘し、53年には党中央機関紙「人民日報」でそのことを具体的に記述していたことを紹介している。その後、中国政府が方針転換したのは、海底資源への魅力にひかれたのが定説になっているとし、その上で今回の中国政府の行動について、「日本に対する一方的『侵略行動』だと見られても仕方がない」と結論づけている。
 もともと相手の領土と認めていた土地を、突然、自分のものと翻意し、さらに今回の常軌を逸した行動にいたった流れ。今後は、中国の領有権を“既成事実化” し、付近で操業する日本船を拿捕する恐れも指摘されているほか、海上保安庁とのトラブルが急増するとも見られている。それでも今回の措置により、海保の船に仮に「体当たり」されたところで、逮捕するのはさらに困難になってしまった。
 結局のところ、不当な言いがかりをつけられ、スジの通った理由もなく、屈伏した姿に等しい。
 今回の動きに、民主党政府に対する国民の目は厳しい。中国が「日中友好」をかなぐり捨てて突出した行動をとった背景には、国内の厳しいネット世論、さらには共産党政府を維持することの困難さもあげられている。要するに、中国政府の「権力維持」が、隣国との「友好関係」よりも優先されているということにすぎない。

 【記者の目】 http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20100928k0000m070127000c.html

カテゴリー:コラム

堕ちた元委員長  63  若者には“無名の存在”にすぎない矢野絢也

2010年9月27日 コメントは受け付けていません

 菅直人首相が東京富士美術館を訪れたとの政治ニュースが報じられている。狙いが公明党の取り込みにあることは明らかだから、あまりにも「軽い行動」にしか映らない。過去にも自民党の小泉純一郎首相(当時)が南アフリカ訪問時にSGIの展示場に足を運んだ例はあるものの、菅氏の場合は事情がまったく異なる。同氏は公明党が生んだ「失格議員」矢野絢也を複数回にわたって永田町の議員会館に呼び、支援団体攻撃のための勉強会を催した際の責任者だからだ。つい最近まで、教団攻撃のための材料収集に躍起になっていた張本人が、いきなり教団系の美術館を訪れ、「すばらしい展覧会でした」などと見え透いたお世辞を述べたところで、事情を知っている者は鼻白むだけであろう。「矢野絢也を使ったことは間違いでした」と述べて行動するのなら、まだ話は変わってくるかもしれないが。
 その矢野絢也が、自宅で行った2億円の現金授受や株取引疑惑(いわゆる明電工疑惑)で、党委員長を引責辞任したのは1989年5月。当時18歳だった者で現在39歳、15歳だった中学生が36歳だから、「矢野絢也」といったところで、その名をしっかり記憶しているのは、40代半ばの世代が最後だろう。
 疑惑や金銭に潔癖な政党を目指して立ち上げた公明党にとって、矢野絢也はあくまで「失格」の元政治家の見本にすぎない。後世の同党議員にとって、真似をしてはいけない“反面教師”ともいうべき存在である。
 とはいえ、同人にとって更生の機会がなかったわけではない。93年に議員引退後は、信仰人として、かつての支持者に恩返しする選択もあったからだ。一方で同人がとった行動は、“希代のペテン師”らが執筆していた月刊誌に投稿し、間接的な教団攻撃で、議員引退のうさ晴らしをすることだった。その原稿はその後、自民党などから教団攻撃の道具としていいように使われた。恩を仇で返すとは、こういうことを指す言葉であろう。
 さらにその後も、支援団体側から行動を改めるように求める声は絶えることはなかったようだ。しかし、そうした声が強まると、矢野本人は一転、自身の不祥事を棚上げして「脱会」するに至った。さらにはあからさまな教団攻撃を開始した。「公明党の政治家」として失格しただけでなく、同人は「人間の道」においても失格した人物と見られている。そうした人物の行動に党利党略で真っ先に乗っかった一人は、現首相の菅直人氏である。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也

沈む共産党

2010年9月26日 コメントは受け付けていません

 日本共産党が25日、党本部で第2回中央委員会総会を開いた。そこで志位委員長は退潮の主な要因として、党員40万人のうちの約4割が65歳以上で、約2割だった97年から高齢化が進んでいるとの調査結果を公表し、世代交代がうまくいっていないことなどを説明したという。これらは前任の不破委員長時代から“有効な対策”を講じてこなかったツケが出ているもので、最初からわかりきっていた話にすぎない。同党は7月の参院選で、小池晃・党政策委員長を東京選挙区で落選させる“失態”を演じており、改選4議席を3議席に減らした。同党の“先細り”傾向は深刻で、来年4月の統一地方選挙でも、なりふり構わない行動をとるだろう。

 【共同通信】 http://www.toonippo.co.jp/news_kyo/news/20100925010003221.asp
 【読売オンライン】 http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20100925-OYT1T00883.htm

カテゴリー:コラム, 日本共産党

事なかれ主義の民主党政府

2010年9月25日 コメントは受け付けていません

 今日付の読売新聞(1面)は、海上保安庁の船に故意に体当たりした疑いで公務執行妨害容疑で逮捕されていた中国人船長の“緊急釈放”について、「戦争になるよりはいい。このまま行けば、駐日大使の引き揚げ、国交断絶もありえた」との政府関係者の声を紹介している。そうした認識が正しかったのかどうか、小生には判断はつかないが、同じ新聞の社会面に、与那国島の与那国町漁協組合長の次のようなコメントが掲載されている。「せっかく毅然とした対応を続けていたのに、甘い姿勢を見せた以上、すぐに中国の漁船がどさっと来るようになるはず」。
 だれがみても、中国の脅しに民主党政府が“屈服”した形にちがいない。法治国家の根幹が揺らぐ事態となったことは確かだ。しかも、検察当局が別事件で窮地に立たされているのを奇貨として、検察側に責任を押し付けたかのような官房長官の姿勢も気になる。
 高度な政治判断であったのかもしれないが、このような姿勢が、中国の驕りを増長し、日本は脅せば(=圧力をかければ)どうにでもなる国、との印象を周辺国に植え付けたのは、日本にとっては大きなマイナスだ。産経新聞の主張を見るまでもなく、こうした見方は一定の説得力をもっているように思える。
 この問題で残念なのは、事実関係を明らかにする武器であったはずの海上保安庁が撮影した証拠映像を、最後まで公開しなかったことだ。はしごを外された形となった海保は、いまさらながら早期に公開すべきだったと後悔しているようだが、肝心なのは事実関係であり、それに基づく法手続きのはずである。今後、海上保安庁の警告を無視し、平気で違法漁業をつづける中国船が続出しても、何も文句は言えなくなるだろう。
 そうした不利益以上の利益があったとするのなら、政府はそのことを日本国民に説明すべき義務がある。

カテゴリー:コラム, 民主党

堕ちた元委員長  62  “言い逃れ”の人生

2010年9月24日 コメントは受け付けていません

 元政治家の矢野絢也が1972(昭和47)年に三重県賢島に買った300坪以上の別荘をはじめ、翌年、東大阪市に購入した鉄筋3階建ての豪邸、さらに74年に奈良県生駒市で買った山林など、合計6000万円近い購入資金はいまも闇に包まれている。本人はマスコミなどにこの点を指摘されるたびに、「不動産や株式を売却した」などと説明してきたが、そうした売却益ではとうてい及ばない金額であったことは、このコラムでたびたび指摘してきたことである。要するに、この程度の言い訳で国民を丸めこむことができるとの錯覚が露骨ににじみ出ている態度ともいえよう。元政治家・矢野絢也の人生を振り返って、一言で形容するとすれば、こうした口八丁の「言い逃れ」で一貫してきた人生ともいえる。
 党委員長時代の金銭スキャンダル「明電工疑惑」はその最たるもので、最初は明電工の関係者について、「まったく知らない」と言明しながら、その後はすぐに「会ったかもしれない」「秘書の仲介をした」などと記者会見での発言はクルクルと変遷し、記者らを呆れさせた。要するに、その場しのぎのウソでのりきれるとタカをくくった態度が明白だったからだ。その結果、国民は同人を“疑惑の政治家”とみなし、党委員長辞任に追い込まれただけでなく、党そのものも選挙で大敗を喫した。
 矢野の「言い逃れ」人生は、自身やファミリーが密接に関与した原野商法詐欺事件においても一貫している。この問題の被害者や、さらにそれを取材してきたジャーナリストなどに対し、知らぬ存ぜぬの態度を決め込んできた。それでも土地売買には登記簿などの明確な証拠が残る関係で、矢野本人がこうした「詐欺商法」に間接的に関与し、カネ儲けしようとした事実は動かしようがない。
 「カネ」と「言い逃れ」――。矢野絢也の人生を突き詰めれば、この二つの語句に集約される。いずれも公明党出身議員にはとうてい似つかわしくないものばかりだ。同人が「失格議員」とされる理由である。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也