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堕ちた元委員長  55  点と点が「線」になった官房機密費問題

2010年8月24日

 九州のブロック紙・西日本新聞が、4月のテレビ番組でなされた官房機密費に関する野中広務証言を1面のコラムで取り上げたのは3日前のことだ。朝日新聞の天声人語にあたるコラム「春秋」の欄でこう書いている。
 「小渕内閣で官房長官だった野中広務さんが今年4月、TBSテレビの『NEWS23』で、内閣官房報償費(機密費)の使い道について明かしていた。機密費に群がった人たち、のくだりを興味深く聞いた。海外視察に行く国会議員が餞別をもらいに来ることが珍しくなかったという。長く慣例になっていたらしい。額は50万~100万円。ある時、首相から相談を受けた。『政治家出身の評論家が自分の家の新築祝いに3000万円ねだってきた。どうしたらいい?』。野中さんは『ここ(機密費)からは一切でませんよ』と断ったそうだ。自分は年(84歳)だから言い残しておきたい、という感じで振り返っていた」
 ここで指摘されている≪政治家出身の評論家≫なる人物が、元政治家の矢野絢也のことを指していることはすでに既成事実化している。矢野は98年5月15日、1年前に取得していた新宿区市谷甲良町の364平方メートルの土地の上に、延べ床面積386平方メートルのエレベーター付き3階建ての「豪邸」を新築した(※写真=8月19日付コラム)。小渕政権が誕生するのは、それからわずか2カ月後の98年7月のことである。
 家を新築したからといって、国民の血税で賄われている機密費に対し、3000万円を要求できる「神経」とはいかなるものか。ふつうに考えれば、過去の現役政治家時代にもそのような慣例があり、うまみを吸ってきたからこその要求に映る。その意味では、同人が1972(昭和47)年から74(昭和49)年までの1年半ほどの間に、「6000万円近い大金」(矢野本人)を相次いで不動産につぎ込んだ≪原資問題≫に結びつく。
 素直に考えても、この「原資」には、田中角栄内閣時代の官房機密費がまじっていた可能性が濃厚であり、さらには同時期、矢野絢也が秘書や従弟を使って個別に行わせたと見られる「原野商法」で得たカネも含まれていた可能性が高い。どちらにせよはっきりいえることは、国民のカネを、自分の政治的立場を利用して不当に、あるいは不正に入手した上で、自己の資産形成に使ったと思われる事実である。
 矢野が東大阪市内に不相応な「豪邸」を持って以来40年近くにわたり、これらの「疑惑」には何も答えていない。歳費以外に短期間で≪大金≫を得た理由を、本人は証拠をもとには何も明らかにしていないのである。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也
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