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堕ちた元委員長  50  疑惑に満ちた不動産取得

2010年8月16日

▼矢野絢也が1973(昭和48)年にキャッシュで購入した鉄筋コンクリート3階建ての「豪邸」。現在では所有者が変わっているが、矢野は購入代金の原資について、説得力のある説明をいまだに行っていない (東大阪市本町)

 (1) 1967(昭和42)年11月  東大阪市御厨に木造2階建ての自宅を購入
 (2) 1972(昭和47)年 7月  三重県賢島に300坪以上の別荘を購入
 (3) 1973(昭和48)年 8月  東大阪市本町に鉄筋3階建ての自宅を購入
 (4) 1974(昭和49)年 1月  奈良県生駒市に844平方メートルの土地を取得
 (5) 1974(昭和49)年 7月  東大阪市御厨の自宅を売却

 以上は土地や建物などの不動産登記簿に出てくる矢野絢也による売買の流れを年表化したものである。矢野は衆議院議員に初当選した1967年、東大阪市御厨に一戸建ての中古物件をキャッシュで購入した。1階が53平方メートル、2階が27平方メートルほどの、いまでいえば普通の家であろう。
 ところが同じ東大阪市に、2軒目の自宅を購入したのは73年。鉄筋コンクリート3階建てで、1階が93平方メートル、2階が67平方メートル、3階が24平方メートルあるいわば「豪邸」だった。当時、時価5600万円ともいわれた物件だったが、矢野はこれらをキャッシュで購入。当時、ライバル政党であった日本共産党から、資金の出所について激しい追及を受け、矢野は立ち往生した。
 昨年3月25日、矢野絢也は「財界にっぽん」という雑誌を自ら名誉棄損で訴えていた裁判で東京地裁に出廷し、証言している。その際、上記の購入金額について、(2)は「(別荘とゴルフの会員権)合計で700万円ぐらいだったと思います」と述べたほか、(3)については「3000万円ちょっとくらい」、さらに(4)については「たしか2000万円足らずだったと思います」と証言した。合計するとわずか1年半の間に、6000万円近い大金を不動産取得のために使用したことになる。
 昭和40年代の6000万円といえば、その価値はいまの6000万円とはまったく異なる。ちなみに、矢野が初当選した昭和42年当時の国会議員の歳費は月27万円だったという。京都大学の学生時代、貧乏のどん底で母親のミシンがけを手伝っていたような男が、いつの間にこのような蓄財を行えたのか。矢野は09年3月に行われた上記の本人尋問の席上、相手方代理人の質問に対してこう答えている。
 「いろんな不動産、株式を処分して買っておるわけです」
 矢野は法廷で、祖父の時代から相続していた不動産が値上がりし、それを売却したなどと説明した。売却物件は「兵庫県の三田」「吉野」などと説明したが、証拠となるものは何も示していない。さらに(3)の豪邸の購入資金についても、このお金はどうやって捻出していますかとの代理人の質問に対し、次のように答えた。
 「それはその前の大阪市内に近い私の自宅を売って、その代金を当てました」
 だが、上記の不動産登記の流れを見る限り、それはまったくの≪虚偽≫だった。御厨の自宅を売るのは、本町の豪邸を購入してから「1年後」の話だったからだ。しかも、2つの不動産は、広さからもわかるとおり規模がまったく異なる。要するに矢野は、6000万円近い資金をどこから得たかについて、説得力のある説明は何も行っていない。公明党議員として、得てはいけない金を得ていたと私は推測する。

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