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堕ちた元委員長  49  山崎正友とウリ二つの人生

2010年8月13日

 元政治家の矢野絢也の生きた軌跡をふりかえると、“希代のペテン師”山崎正友のそれと瓜二つであることに驚く人は多いだろう。山崎は弁護士として、矢野は草創期の公明党(公明政治連盟)のホープとして期待され、活躍の場を見つけた。山崎は仕事を通して知り合った静岡県の自民党県議と懇意となり、金漬けにされ、金銭感覚をおかしくした。一方の矢野は、国会に議席をもったあと、公明党書記長として他党の幹部らと親しく付き合うなかで、やはりこれも金銭感覚を麻痺させた。
 山崎は自分で冷凍食品会社の経営のまねごとをしたものの数十億円の負債とともに倒産。首がまわらなくなり、顧問先であった教団を恐喝し、カネを引き出そうとした。一方の矢野は、議員になって金儲けがセカンド・ビジネスになったかのように、原野商法で支持者を騙したり、高速道路のサービスエリアの利権をはじめ、専門学校ビジネスなどに直接・間接に関与した。
 そうした金銭感覚の麻痺の「帰結」は、山崎の場合は懲役3年の実刑判決をうけることになる教団への恐喝事件であり、矢野にとっては、明電工疑惑をはじめとする公明党議員としては重大な金銭スキャンダルの発覚であった。そのため、山崎は教団の顧問弁護士をクビになったばかりでなく、刑務所暮らしという報いを受けることになる。矢野も、党委員長職を辞任せざるをえなくなり、まもなく議員引退に追い込まれた。
 その結果、第三者や環境を「逆恨み」するという行動も共通のものだ。山崎は出所後、報復のために教団攻撃に躍起になった。矢野も議員を辞めさせられたとの恨みの感情をもち、報復的な行動を始める。共通するのは、いずれも自身の行動のいたらなさが招いた結果にすぎないにもかかわらず、その責任を自分のものとして受けとめられず、教団のせいにするという自己愛に満ちた心理的傾向だ。
 そうして報復の手段としてとった行動も似通っていた。あることないことをマスコミ雑誌に手記という形で発表するという方法がそれで、山崎の場合は「週刊文春」をはじめとする多くのメディアに、矢野の場合は「月刊文藝春秋」を中心にそれらを発表した。これまで述べてきた2人の共通点をまとめると、以下のようになる。

 (1) 仕事を通じて金銭感覚が麻痺
 (2) 社会的問題を引き起こすも、自分の責任ととらえきれず、反対に逆恨みする
 (3) 雑誌に「手記」を発表して意趣返しを図る

 それでも、山崎正友と矢野絢也を見比べると、異なる点が一つだけある。山崎の場合は、反逆後は形式上は一貫してその信念を貫き通したのに対し、矢野はのらりくらりとジグザグな軌跡をたどってきたことだ。
 93年に議員引退した矢野は、引退させられた恨みからか、文藝春秋に自身に都合のよい政界内輪話を連載し、間接的な教団攻撃を始めた。だがその後、教団の幹部から責任を追及されると、謝罪し、評論家をやめるときっぱりと述べるなど反省するそぶりを示す。だが時間がすぎると再び心変わりしたのか、今度は教団側に「評論家を止めるように脅された」などと提訴したこれまでの経過を見れば一目瞭然だろう。
 当然ながら信念の内容が正しいかどうかは別の問題となるが、矢野絢也は、明らかに自分の信念を一貫させることのできない人物だ。その意味でいう限り、山崎よりもさらに劣っている人間というしかない。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也, 山崎正友
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