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デマ事件「作出」から15年  “総崩れ”する謀殺説の面々

2010年8月7日

 1995年9月1日、東村山女性市議転落死事件において、教団謀殺説を最も早くから吹聴し、主張したのは東村山市議の矢野穂積だった。あれから15年——。さまざまな証拠をもとにしても、この事件が他殺であったことを裏付けるものは何もない。つまり、確かな証拠もなく、謀殺説に頼らざるをえなかった矢野の「個人的状況」だけが浮き彫りになるばかりである。彼にとっては、「自殺」であっては困る事情があったにすぎない。
 デマ事件に最初に飛びついたのは、「週刊現代」「週刊新潮」などのメディアに加え、この問題で著作を出版した乙骨某。乙骨は矢野から「朝木さんが殺された」というバイアスだらけのリーク情報を入手すると、すぐに週刊新潮のデスクだった門脇護(現在、門田隆将)に連絡。矢野のデマ情報を “拡散”するための尖兵の役割を果たした(ちなみに門田隆将はこの事件で新潮200万円敗訴のきっかけをつくった人物)。
 これまでこの事件に関する数十件におよぶ多くの民事裁判が行われてきたなかで、謀殺説が事実として認定されたことはただの一度もなかった。矢野穂積の主張してきた内容の裏付けは、あれから15年経ったいまも、裁判の審理に耐えうるものは何一つ存在しないのである。
 そんな状況にもかかわらず、いまだに謀殺説を主張する者に、まともな者がいないことはすでに明らかであろう。2年ほど前からこの問題に参入してきた“ゴロツキ右翼”らの行動が、まともな事実解明を求めてのものでないことは、すでに多くの関係者が感じ取っている。
 こうした似非右翼の片割れたちに情報を与え、焚きつけたのも、冒頭の東村山市議・矢野穂積らだったことは、すでに裁判の中で明らかになっている。すべての根源は、常にこの男にあったことになる。
 矢野にとっては、この事件の「真実」を明らかにすることが行動の目的でないことは、すでに多くの関係者が気づいていることだ。同人にとっては、「謀殺」でなければ困る個別的事情が存在しただけであり、そのことは同人の利害と直線的に結び付いている。
 東村山事件の本質は、実は極めて単純なものだった。一人の≪デマゴーグ≫に社会が振り回されてきた歴史にすぎなかったからだ。この15年間は、その振り回された相手が、週刊誌メディアからゴロツキ右翼へと変化していく過程にすぎなかった。
 いまはあの乙骨某でさえ、この問題については、何も主張できなくなっている。“ゴロツキ右翼”らの仲間になることへの躊躇を感じているのかもしれない。

 ※デマゴーグ ……… デマを手段として用いるような政治家。扇動政治家。

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