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堕ちた元委員長  47  「公金」にたかる拭いがたい体質

2010年8月5日

 元政治家の矢野絢也が、さまざまな利権にまみれ、「公金」にたかる体質をもっていたことがわかりやすい事例で明らかになりつつある。官房機密費をめぐる一件がそれで、家を新築したからとその祝い金として3000万円寄こすよう、時の首相に要求したとされる行動のことだ。現職議員でなく、引退した元議員による行動だけに、よけいに異様なものに映る。
 ごく常識的な線で考えてみても、これが初めてとった行動とは思いにくい。過去にも似たような行動で味を占めた者ならではの、2匹目・3匹目のどじょうを狙った行動としか思われないからだ。
 小生の取材では、矢野絢也は生涯に4軒の持ち家をもった。1軒目は衆院議員に初当選した1967(昭和42)年11月、東大阪市御厨に購入した小さな中古住宅。2軒目は、73(昭和48)年8月に東大阪市本町に購入した鉄筋コンクリート3階建ての豪邸(中古)だ。
 3軒目は大幅に年代をくだる。党委員長に就任する2年ほど前の1984年に新築した豪邸で、選挙区のある大阪でなく、東京・新宿区の一等地に建設した。場所は二十騎町。いますむ豪邸(市谷甲良町)は、98年5月に完成したもので、4軒目の持ち家となる。
 小渕恵三政権が発足するのは98年7月のことだから、3000万円をたかったとされる自宅新築の時期とほぼぴったり重なるわけだ。
 ちなみに、矢野絢也が自宅購入をめぐり、世間から激しい批判を最初に浴びたのは、2軒目の豪邸を購入したのがきっかけだった。当時はいまと違って勢いのあった日本共産党などから激しい追及を受けている。時は1973年。田中角栄著『日本列島改造論』が出版された翌年で、田中首相の全盛期の時代だった。
 このコラムでも何度か指摘してきたが、矢野絢也が「公金」の魔力に身を溶かされたのは、まさにこのときだったと思われる。なぜなら、この豪邸を矢野はキャッシュで購入してみせた。議員歳費でまかなえるような金額では到底なかったために、当時の共産党は大騒ぎした経緯がある。このときの購入資金の出所について、矢野は≪確かな証拠≫をもとに説明したことは、これまで一度もない。

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