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「左翼」なる語について

2010年6月13日

 昨日付の毎日新聞の名物コラム「近聞遠見」は、菅政権に自民党リーダーが投げつけた“左翼政権”なる攻撃材料について、「なつかしい言葉だが、ぴんとがはずれている。旧左翼が苦笑するだろう」と皮肉っている。岩見隆夫氏のコラムだが、今日付の東京新聞では、政治学者の山口二郎氏がコラムのなかで、「左翼と保守」と題し、同じようなことを述べていた。山口氏によると、左翼の定義は「強者の自由を多少制約しても、政府の力で平等を実現するという考え方」というものだが、非常にわかりにくい。
 小生も時折、「あいつは左翼だ」などと侮蔑的な言葉を投げられることがあるが、そのたびに私は、この人は「左翼」の意味をわかって言っているのだろうかとの感慨にとらわれる。私にとって左翼は共産主義者のことであって、その意味では、当方にはまったくあてはまらないからだ。
 いま菅内閣に対して「左翼」なる言葉を投げかけているのは、平沼赳夫などの「極右」政治グループがその中心だ。この国では、靖国崇拝、天皇重視、要するに「皇国史観」思想は、『右翼』と位置づけられる。このことははっきりしている。
 一方、日本では、「左翼」は共産主義者だけでなく、共産主義者が主張する政策と同様の政策内容を結果的に支持する者もすべからく、「左翼」と呼ばれることが多い。世間的に「左翼」の定義がきちんとなざれていないことの結果と思われるが、当方は「左派」といわれることはあっても、言葉の厳密な意味での「左翼」ではない。
 まあ、どうでもいいことかもしれないが‥。

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カテゴリー:コラム
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