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堕ちた元委員長  46  「公金」を元手に“商売”してきた男

2010年4月26日

 矢野絢也が高校から大学時代にかけて、貧乏のどん底にいたことは同人について書かれた半生記などから明らかだ。矢野家の暮らしがまともになったのは、同人が大学卒業後、大手ゼネコンに就職してからであり、より正確にいえば、府議会議員(1963年)、衆議員議員(1967年)に当選して以降のことだった。同人が初めて自己所有の家(東大阪市御厨)を購入したのは67年11月。衆院初当選後わずか10カ月の時期だった。
 以後、三重県賢島(72年7月)、東大阪市本町(73年8月)、奈良県生駒市(74年1月)と、次々に不動産を購入。東大阪市御厨の最初の自宅を売却したのは、74年7月になってからである。つまり、最初の自宅の売却益は、上記の不動産購入の原資には使われていない計算になる。
 つまり、(1)東大阪市御厨(2)三重県賢島(3)東大阪市本町(4)奈良県生駒市の不動産は、いずれも何らかの不動産を売却したあとそれを資金として購入したというものではなく、いずれも独立の資金で入手したものである。その資金はどこから出たのであろうか。
 もちろん代議士の歳費だけで、短期間にこのような不動産取得が可能でないことは明らかであろう。推測するに、自民党政府の官房機密費や自民党幹事長などからの裏献金など、“表には出せない金”が多く含まれていたとみるのが自然であろう。要するに、それらをたどっていけば、その一部は明らかに「公金」である。
 矢野は公明党書記長という「ポスト」を利用して、不正な金銭を取得し、自分の商売に発展させていった。同人の商売とは、不動産売買、さらには株式売買の2つに尽きる。
 現在、矢野が新宿区内にエレベーター付き3階建ての「豪邸」を新築し、住んでいる場所は、上記の不動産の一部を売却したあとに購入したもので、原資は先の4件の不動産購入資金に行き着く。
 「清潔」を売り物に政界に打って出たはずの公明党にあって、初期のころから、こうした“不届き者”がいいように泳いできた事実を、同党議員は「他山の石」としなければならない。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也
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