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おバカな矢野絢也のお粗末記事

2010年4月19日

 今日発売されたある月刊誌で、矢野絢也が「『池田大作と小沢一郎』最後に嗤うのはどっちか」と題する7ページの文章を掲載していた。元一党の党首だった人間が、このような政局の表面をなぞるような記事を掲載することも、考えてみれば他にあまり例のないことかもしれない。税金問題にからめて次のように書いていた。
 「創価学会が非課税のお金を原資にして建てた各地の学会施設、本部職員などが選挙活動に専念することは当然問題になってくる」
 よくいわれるように非課税の宗教団体施設において、どこまで政治活動が認められかという問題を指摘するもののようだが、創価学会が公明党の支持団体であり、同教団の会合では、議員や候補者が幕間挨拶することは特に珍しいことではない。他の教団であっても、さまざまな行事に政治家が出席したり、来賓あいさつすることはよく行われているのと同じことであろう。むしろ問題とされるべきは、矢野絢也本人が過去にそのような「恩恵」を受けてきた張本人であり、それによって当選してきた元政治家であるという事実である。さらに同人の議員年金も、そうした無償の支援活動によって、その結果保障されてきたともいえるものだ。
 矢野は自身のそうした過去をさしおいて、問題点なるものを指摘しているのだ。これは人間として、まともな行動といえるだろうか。主張を論理矛盾なく“貫徹”したいのであれば、そのような支援行為によって政治家を続けたことによる自身の「果実」を、同様の主張を続ける限りは、国庫にその一部を返還すべきであろう。
 ある人物が、かつて所属し、世話を受けた団体や人物に背き、行動する姿は古今東西よく見られる光景である。とはいえ、矢野は「元政治家」であり、「公人」である。いまも、国民の税金で生活する身だ。
 その矢野は、池田名誉会長を「言いたい放題のお気軽な立場」と記述している。むしろ逆ではないのか。
 政党の代表者をつとめ、金銭スキャンダルで不祥事まみれになり、逆に守ってもらったはずの人間が、その後、“お気軽”な政治評論家に転身し、出身政党と支援団体に後ろ脚で砂をかけて去っていった。そんなお手軽な行動を重ねてきた人間が、教団の一切の責任を担ってきた人物に投げつけるべき言葉ではなかろう。
 「清潔政党」であったはずの公明党を“私物化”してきた矢野にとって、あくまで、「責任転嫁」の論理で完結するしか、残された道はないようだ。見る人が見れば、本質的には、≪さもしい人間≫の姿にしか映らない。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也
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