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堕ちた元委員長  43  いまも「潔白」とうそぶく虚言癖者

2010年4月12日

 明電工関連株の2億円授受問題が浮上した1988年、渦中の中瀬古功氏が正式に「矢野本人との取引だった」と言明したのは、翌年5月、同氏の実刑判決が出た日のことだった。この発言が決定打となり、約1週間後、矢野は委員長職辞任に追い込まれる。
 中瀬古証言では、矢野と出会ったのは85年1月ごろのことで、矢野の新宿・二十騎町の自宅で開かれた新年会が最初の出会いの場だったという。以降、ホテルニューオータニの会員制クラブ、赤坂の料亭、矢野ファミリーの経営する伊東温泉の割烹旅館などで、計10回は会ったと雑誌などにも書いている。
 一方の矢野は当初、「そんな人に会ったこともない」とシラを切り、さすがに無理が通らないと思ったのか、「名刺交換くらいはしたかもしれない」と“後退” した。脱税事件で一緒に逮捕・起訴された明電工専務(当時)も、株売買については中瀬古氏と同様の証言を行っていた。
 88年12月、朝日新聞が矢野ファミリーの明電工関連株売買の事実をスクープすると、矢野はその記事を名誉棄損で刑事告訴しながらも、翌年春にはこっそり取り下げた。さらに共産党機関紙「赤旗」が明電工関係者から取材を行い、矢野の妻である満子がたびたび明電工本社(渋谷区)を訪れていた事実を暴露した。矢野はこの致命的な記事に対して、一切法的手段をとることもなかった。要するにこの時点ですでに、中瀬古氏との親密な関係を事実上認めていたことになる。
 それでいながら矢野は、昨年2月に出版した自著の中で、「天地神明に誓って、私は潔白である」などとうそぶく始末である。事件からすでに10年以上がすぎ、一般には忘れ去られた事件であることをいいことに、自らの潔白を今頃になっても主張している。それでも同人が当初主張していたような「中瀬古氏に会っていない」などという具体的な“大嘘”は、さすがに書けなかったようだ。
 当然のことながら、本当に「潔白」だったのなら、委員長職を投げ出す必要などさらさらなかったはずだ。自分を守るためとはいえ、ウソが常習となっている元公明党議員も珍しい。「矢野絢也」という人物の本質である。

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