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倭国の中心・邪馬台国は大和政権に4世紀に滅ぼされた?

2010年4月1日

 最近出版されたばかりの『邪馬台国の滅亡~大和王権の征服戦争』(若井敏明著、吉川弘文館)を読んだ。若手の歴史学者による大胆な邪馬台国史というべきものかもしれないが、その根拠はあくまで「古事記」「日本書紀」に見出している。著者によると、明治以来の邪馬台国論争とは、「研究者が一般国民を巻き込んでつくりあげたひとつの仮想現実(バーチャルリアリティ)」であり、時系列で追っていくかぎり、邪馬台国の畿内説はありえないことを断言する。
 本書の主眼は、倭国とは、北部九州に存立したクニの連合体を指しており、大和政権を指すものではないこと。さらに倭を構成していた一部勢力が2世紀初頭ごろに東遷し、奈良盆地一帯を支配し、拡大していったのが大和政権という経過になる。
 大和政権はそのように「征服」を繰り返してきた“征服王権”であったがために、統治形態も倭国に比べて向上し、結局は卑弥呼亡き後の北部九州に攻め込み、事実上、日本を征服することになる。北部九州が陥落したその時期を、著者は367年から369年の間と指摘している。
 興味深いのは初代天皇である神武天皇の東遷の出発地点を、「古事記」や「日本書紀」が記述している日向(現在の宮崎県)ではなく、「北部九州の一角」と指摘していることであろう。具体的には、「神武の出発地は博多湾から玄界灘の沿岸のどこか」と理由をあげて推定しているが、記紀における日向の記述は、倭国出身であるという「出自」を隠すためになされた“創作”というべきものだったのであろうか。
 日本の生い立ちを考える意味で、興味深い書物であることは間違いない。

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カテゴリー:コラム
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