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Archive for 2010年4月

デマ発信源「矢野穂積」の悲哀

2010年4月30日 コメントは受け付けていません

 「朝木明代は他殺された」とのデマを発信しつづけた東村山市議・矢野穂積。そうした行動の動機が、朝木を自殺に追い込んだ自らの道義的責任を回避するためになされていることはすでに多くの人が気づいている。
 上記のデマに群がったのは、当初は売らんかなの週刊誌メディアであり、事実識別能力をもたない一部のジャーナリストであった。いまもそんなことを主張する物書きがいるとしたら、それはお粗末極まりない者にすぎない。事件から10年以上もすぎてこうしたデマに飛びついたのは、いわゆる「ごろつき」の類いで、そうした者たちが最近、逆に、事件の真相を浮かび上がらせる働きをしていることは皮肉な現象にみえる。
 東村山の矢野といえば、パラノイア(偏執者)として知られ、その行動パターンは、サイコパス(良心の呵責をもたない異常人格者)そのものだ。矢野穂積の上記の主張には、事実に基づく根拠がそもそも存在しない。
 デマには発信する側と、踊らされる側がいる。発信源は矢野穂積、踊らされたのは低劣右翼たちだった。
 昨日付から朝日新聞が「扇動社会」と題する短期連載を始めた。「進化するネット世界の陰で乱れ飛ぶ、中傷や真偽不明の話。今回はそれらにあおられる社会を見つめる」と1回目で綴っている。上記のデマも、そうした「扇動」そのものの行為といえよう。
 ウソで固めた人間には、そもそもまっとうな旗がない。そうした人間に好意的に群がる者たちも、観察してみると、所詮は同じ穴のむじなにすぎないようである。
 以前なら単なる「ごろつき」にすぎなかった者たちは、最近はネット社会の出現により、一般市民を“偽装”することが容易な時代となった。それでも、ごろつきと一般市民の間には、本質的に大きな隔たりがある。
 もはや、そんな者らに頼るしか道を失ったかのように見える市議会議員・矢野穂積。次の選挙は厳しそうだ。

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カテゴリー:コラム, 矢野穂積

デマにたかった右翼「西村修平」を断罪  東京地裁立川支部

2010年4月29日 コメントは受け付けていません

右翼団体「主権回復を目指す会」代表の西村修平(=威力業務妨害罪の前科あり)が街宣活動の内容などを名誉棄損で訴えられていた裁判で28日、東京地裁立川支部は西村に対し、10万円の損害賠償を支払うよう判決で命じた。
問題となったのは2008年9月1日、東京・東村山駅東口公園で同人が演説を行い、95年同日に起きた東村山女性市議転落死事件について、計画的な殺害であり、東村山署がそれを自殺事件に仕立て上げ、女性市議の万引き事件を捏造したなどと断定したもので、「四悪人」として、転落死当時、東村山署副署長だった男性などを名指しししたもの。
これに対し、元副署長は、100万円の損害賠償を求める名誉棄損裁判を提起し、審理がつづいてきた。判決文は38ページにおよぶ長さで、西村による摘示事実はいずれも真実性がなく、相当性もないと判断した。
判決文では、「被告の主張するその余の点を考慮しても、亡明代が殺害されたことや、これが計画的なものであったことを認めることはできない」と結論づけ、さらに「本件転落死当時、亡明代に自殺の動機がなかったとはいえない」と明言し、原告側の主張を全面的に認める内容となった。
被告の西村はこの事件で弁護士に委任していたが、判決に代理人は同行せず、西村ひとりが被告席に(原告側は所用で欠席)。傍聴者は19人。ほとんどが右翼関係者で占められたが、たいした混乱はなかった。

カテゴリー:コラム, 西村修平

私益を追求してきた元政治家

2010年4月28日 コメントは受け付けていません

 よく言われることかもしれないが、公明党候補者には地盤も看板もいらない。選挙費用も他党に比べればかなり安くてすむ。選挙に余計な労力を使わないかわりに、議員になったら国民・市民のために思いっきり働いてほしい、との支持者の心がある。
 そんな思いを体現した仕組みのもと、教団による政治支援は行われてきた。公明党結党後もそれは変わっていない。そのため議員にとっては、議員活動の結果がすべてであり、結局は何を残したのか、有権者の幸福のためにどれだけ尽したのかが問われる。本来、透徹した無私の精神に、「私」が入り込む余地は少ない。
 だが、矢野絢也の場合は違った。代議士として泳ぎながら、どこまでも「私」の側面を追求した。少なくとも、政党の代表者を務めた人間が、お手軽な政治評論家に転身した実例を聞かない。もしも同人が「公」のために行動していたなら、議員引退後の行動もずいぶんと違うものになったはずである。
 出身政党の発展のために尽力するどころか、個人的な金儲けのために詐欺師と親しく付き合い、かつての支持者と顔を合わせると逆にそっぽを向いてきた。
 その根底に見えるのは、あくなき「私益追求」の姿勢であり、その証明が時価数億円の豪邸や、カネ儲けのために奔走してきた姿であろう。結論として、公明議員として同人に決定的に欠落していたのは、清貧を守りぬいてでも有権者のために尽くし抜く「覚悟」であり、それを支えるための「信仰」だった。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也

話題の脱北者映画

2010年4月27日 コメントは受け付けていません

 映画「クロッシング」を観た。2008年に韓国で封切られた脱北者家族を扱った作品だが、日本でも上映され、話題になっている。主人公は少年とその両親。母親が妊娠中に結核となり、窮乏生活の北朝鮮国内では薬が手に入らないため、父親は中朝国境を越え、薬を求めに出かける。「すぐに戻ってくる」との言葉を残して。だが、父親がさまざまなハプニングで戻れなくなるなか、母親は他界。ひとりぼっちになった身寄りのない少年は、父親を探して脱北するというストーリーだ。これ以上は映画を見ていただいたほうがよいと思うが、親子の情が切々と胸に迫ってきて、だれもが涙なしに見ることはできない内容である。
 北朝鮮の庶民の生活がリアルに描かれていて、日本の昭和初期という印象だ。少年の性格もすれていない。かつての日本の子どもたちもこうだっただろうと思わせるから、余計にぐっとくるものがある。

カテゴリー:コラム

堕ちた元委員長  46  「公金」を元手に“商売”してきた男

2010年4月26日 コメントは受け付けていません

 矢野絢也が高校から大学時代にかけて、貧乏のどん底にいたことは同人について書かれた半生記などから明らかだ。矢野家の暮らしがまともになったのは、同人が大学卒業後、大手ゼネコンに就職してからであり、より正確にいえば、府議会議員(1963年)、衆議員議員(1967年)に当選して以降のことだった。同人が初めて自己所有の家(東大阪市御厨)を購入したのは67年11月。衆院初当選後わずか10カ月の時期だった。
 以後、三重県賢島(72年7月)、東大阪市本町(73年8月)、奈良県生駒市(74年1月)と、次々に不動産を購入。東大阪市御厨の最初の自宅を売却したのは、74年7月になってからである。つまり、最初の自宅の売却益は、上記の不動産購入の原資には使われていない計算になる。
 つまり、(1)東大阪市御厨(2)三重県賢島(3)東大阪市本町(4)奈良県生駒市の不動産は、いずれも何らかの不動産を売却したあとそれを資金として購入したというものではなく、いずれも独立の資金で入手したものである。その資金はどこから出たのであろうか。
 もちろん代議士の歳費だけで、短期間にこのような不動産取得が可能でないことは明らかであろう。推測するに、自民党政府の官房機密費や自民党幹事長などからの裏献金など、“表には出せない金”が多く含まれていたとみるのが自然であろう。要するに、それらをたどっていけば、その一部は明らかに「公金」である。
 矢野は公明党書記長という「ポスト」を利用して、不正な金銭を取得し、自分の商売に発展させていった。同人の商売とは、不動産売買、さらには株式売買の2つに尽きる。
 現在、矢野が新宿区内にエレベーター付き3階建ての「豪邸」を新築し、住んでいる場所は、上記の不動産の一部を売却したあとに購入したもので、原資は先の4件の不動産購入資金に行き着く。
 「清潔」を売り物に政界に打って出たはずの公明党にあって、初期のころから、こうした“不届き者”がいいように泳いできた事実を、同党議員は「他山の石」としなければならない。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也

日本一「外国人」の多い町になった新宿区

2010年4月25日 コメントは受け付けていません

 日本の市区町村で最も外国人の多い地方自治体は、長年、大阪市生野区と決まっていた。変化が生じたのは2008年のことである。東京新宿区が生野区を上回ったからだ。この4年間の変化をデータで示すと次のようになる(いずれもその年の年末の数字=人数)。

 【2005年】 1位 生野区 3万3713  2位 浜松市 3万0154  3位 新宿区 2万7443
 【2006年】 1位 生野区 3万3081  2位 浜松市 3万2387  3位 新宿区 2万8756
 【2007年】 1位 生野区 3万2192  2位 新宿区 2万9986  3位 江戸川区2万2277
 【2008年】 1位 新宿区 3万1793  2位 生野区 3万1633  3位 江戸川区2万4003

 2007年から浜松市が外れたのは、政令指定都市になって区単位で数字が出るようになったためだろう。大阪市生野区は在日コリアンの集住地域で、日本国籍を取る人が一定数いることと、高齢のため死亡した人々を含め、年々減っていることがわかる。一方の新宿区の場合、ニューカマーを中心とした韓国人(43%)、中国人(31%)で全体の4分の3を占めており、今後も増加傾向が予想され、現実に右肩上がりで増えている。
 日経が夕刊で連載を始めた「東京『オオクボ』に住んでみる」(4月10日付)によると、「新宿区の外国人登録者数は約3万5000人と東京23区で1位」とあるから、すでに1年余りで3000人増えている計算になる。
 法務省の統計は政令指定都市や東京23区の場合を区別で比較しているので、このような結果になるが、純粋に市単位で比較すれば、大阪市12万人は、やはりダントツ1位だ。ただし大阪市を東京23区と同じように区別で比較すると、冒頭の結果になるというわけだ。あまり知られていないことなのであえて書いてみた。

※新宿区の2010年3月1日時点の外国人登録者数は、3万4587人ということだった。(同区役所調べ)

カテゴリー:コラム, 外国人参政権

堕ちた元委員長  45  引退後も信仰活動をほとんどしなかった矢野絢也

2010年4月24日 コメントは受け付けていません

 公明党国会議員のなかで唯一、地元選挙区のほか東京にも豪邸をもっていると雑誌で書かれたことのある矢野絢也。不透明な株取引疑惑で議員引退後も、まともに信仰活動を行った形跡はない。教団の主要会合の一つである、月1回開かれる座談会(地域単位の会合)に矢野本人が出席したとの話も皆無だ。むしろ地元の学会員を見つけると、コソコソと隠れるようにしていたという話のほうが多い。
 まともな公明議員であれば、引退後は信仰の世界に戻り、人生を総仕上げする姿とは対照的だった。
 さらに元委員長の身ながら、自宅に、「公明党のポスターを貼らせてほしい」と支持者が矢野宅を訪れると、きまって本人は出てこないで、インタホン越しに女性が、「では隅のほうに一枚だけ貼ってください」と告げることが多かったと支援者らは語る。新宿区の矢野邸の周辺は一軒家が多く、政党ポスターを貼れるところは限られていた。だからこそ地元支援者らは期待して依頼に訪れたというが、矢野側の返事は、いつもつれないものだったという。そのため、「あの人、元委員長でしょう。いったい何なの」と、陰で非難されることもあったようだ。
 地元の党組織に貢献できない「元代表」とは、いったい何だったのだろうか。
 加えて引退後、選挙の当日でさえも、矢野は自宅で“野良仕事”をしている姿をたびたび目撃されてきた。不祥事で政界を去った身としては、選挙遊説などであまり貢献できない立場だったかもしれないが、本人にその気さえあれば、元委員長としての人脈を使うなどして、いくらでも動くことはできたはずである。
 議員時代はさんざん支持者に助けられながらも、引退後は、なんら党活動に貢献しない政党の元委員長。それどころか、逆に反党行為を繰り返し、そうした行為をとがめられると、「居直って」、反逆に転じる始末だ。人間としての本質はすでに見抜かれている。同人が「盗っ人」と呼ばれるゆえんである。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也