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堕ちた元委員長  40  金銭問題で「辞任」に追い込まれた情けない党首

2010年3月31日

 矢野絢也はその後も事件をあいまいにしたまま、委員長の座に座り続けようと模索をつづけた。その年の夏には、参議院選挙と都議会議員選挙も控えていた。政党として2つの重要選挙を前にしていただけに、党内や支持団体からは「矢野委員長では戦えない」「明電工事件の疑惑をはっきりと説明せよ」などの声が激しくわき起こっていた。
 結局、世間の批判と相まって、矢野は「辞任」せざるをえなくなる。だが、肝心の辞任会見の席でも、本人は明電工事件の疑惑を最後まで否定したまま、辞任するのは自分の疑惑のためではないなどと強弁した。
 当時、政界はリクルート事件で大揺れに揺れ、同党幹部が取り調べを受けていたほか、別事件でも同党所属の国会議員が起訴されていた。
 矢野は辞任理由について、「1年半に(党内に)2回も司直の裁きが入ることは弁解の余地がない不祥事であり、すべて私の責任だ」と説明した。要するに自分の問題を“棚上げ”したまま、同僚議員の問題にすり替えて、辞任の理由を説明したわけだった。ここに同人の公職者としての政治姿勢が顕著にあらわれていた。
 矢野は「(辞任の)気持ちの背景には明電工事件で心苦しいこともあった」(読売・5月17日付)とも説明したが、明電工疑惑については「利益を受けたことは一切ない。断じてない」と説明しただけで、辞任の理由についても「9割は2つの不祥事。明電工は1割で心理的な要因にすぎない」と述べるにとどまり、「不透明なままの退任」(読売)となった。
 それから20年以上過ぎた現在まで、矢野は明電工事件について、疑惑の払拭をまったく行っていない。終始一貫して、「真実」というものからこれほど遠い元政治家は、元公明議員のなかでは“唯一”であろう。

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