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堕ちた元委員長  38  明電工事件でも夫婦で「偽証」した矢野絢也

2010年3月27日

 明電工事件で脱税で逮捕・起訴された中瀬古功氏は、東京拘置所で共産党参院議員と面会した際、「矢野氏とは都内で数回会った」「矢野夫人が本社にあいさつに来たこともある」と証言していた。矢野絢也はそれまで中瀬古氏とは「面識がない」と機関紙上などで潔白を繰り返していたが、形勢は大きく逆転する形となった。そこに出てきたのが“追い打ち”となる、88年12月の朝日新聞スクープである。
 記者会見に臨まざるをえなくなった矢野は、「中瀬古と名刺交換していないとはいえない」「妻も本社に行ったことは『記憶がない』と言っている」などと主張。中瀬古氏との関係については、供述を後退させ、一方の妻・満子の関与についてはこの段階になっても否定していた。だが実際はどうだったのか。
 12月18日付の「赤旗日曜版」は、矢野満子が本社に顔を出したのは「1回や2回という程度ではない」という明電工元幹部の証言を掲載、「中瀬古氏が矢野との関係をよく自慢していた」といった内部証言も引き出した。極めつけは、次のような別の同社元幹部の証言であろう。
 「本社の食堂の奥にはレーザーディスクのカラオケ装置をセットした“特別室”と呼ぶバーがある。中瀬古夫人が女性だけのカラオケの会をつくり、ここでよく歌っていた。矢野夫人もこの “特別室”に出入りしていた」
 要するに、矢野は夫婦ぐるみで明電工と“密接な関係”にあったことを関係者が証言していた。にもかかわらず、矢野は中瀬古氏との関係を当初は一切否定し、事実が明らかになると段階的に追認するという態度をとった。これは妻・満子についても同様である。
 東京・渋谷区に本社のあった明電工は、大阪に選挙区をもっていた矢野にとって、投票依頼の相手でなかったことは明白だ。夫人の矢野満子は、重要な国政選挙の直前にも明電工本部を訪れていた。
 結局のところ、矢野絢也および満子は、上記の赤旗報道に抗議することもなく、ただ“黙認”するだけであった。裁判に訴えることがなかったことはいうまでもない。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也
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