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邪馬台国はどこか

2010年3月24日

 3世紀の日本のありようを記した魏志倭人伝に出てくる邪馬台国の所在地はいまだ諸説がありはっきりしない。大きくは九州説と畿内説とに分かれるが、倭人伝の記述をそのまま受け取れば、九州北部以外には考えにくい。福岡県などが主催する検証シンポジウムが先日、春日市内で行われ、「あなたが決める邪馬台国」と称して、邪馬台国の比定地をめぐる人気投票が行われた。九州だけでも北は博多湾沿岸から南は鹿児島県霧島市周辺まで、29か所もの候補地が挙げられたという。人気投票の第1位は甘木・朝倉説(福岡県)で、断トツのトップ。つづいて博多湾沿岸、吉野ヶ里(佐賀県)とつづいた。もちろん古代史に関心をもつ一般市民らによる人気投票なので、必ずしも現実と合致しているわけではない。
 古くは福岡県山門郡(瀬高町周辺)を邪馬台国に比定する説が有力だった。読み方は同じヤマトであり、その後の近畿のヤマト政権とも関係があると見られてきたからだ。
 興味深いのは、考古学の研究者から、「国が真剣に解明しようとするなら、必ず特定できる」との意見が出されたことであろう。国が20億から30億円くらいの予算をつけて、関係学会をあげて国家的プロジェクトとして解明作業を進めれば、必ず特定されるとの専門家の意見は重要である。中国は殷の前の夏王朝の存在などをそのようにして発見したと付け加えている。
 邪馬台国時代の古代史は、日本の成り立ち、さらには天皇家の歴史とも密接にからむ可能性のある問題で、これまで国が本腰をあげて取り組もうとする姿勢は見られなかった。だが、国家の成り立ちを正確に把握することは、その国の国民にとって極めて大切なことであろう。いつまでも畿内説と九州説に分かれ、不毛な論議を続けていても仕方がない。民主党政権はこうした問題にも、取り組む姿勢を見せてみてはどうか。

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カテゴリー:コラム
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