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堕ちた元委員長  35  現金授受の一日

2010年3月21日

 1988年12月、矢野絢也が2回目の記者会見で述べた内容がいかに現実離れした≪虚構≫であったかは、その後次々と明るみになっていった。その一つに、同人が2億円を秘書のかわりに明電工幹部に手渡したとするその日の行動が挙げられる。
 矢野が時価8億円ともいわれた新宿区二十騎町の豪邸の一室で、明電工の専務らに対し、1000万円の札束20個を手渡したのは、党委員長に就任してわずか半年後の1987(昭和62)年5月27日のことである。
 実はこの日は通常国会の会期末に当たっており、委員長の矢野にとって朝から慌ただしいはずの一日だった。日程は朝からビッシリで、その様子は翌日(5月28日)付の公明新聞に掲載された「ドキュメント108国会最終日」という記事からもうかがえる。それによると、その日の正午前後の行動は次のようになっていた。

 11:30 衆院控室で矢野を中心に党訪中団同行記者団と懇談
 12:30 衆参両院議員総会で挨拶
 12:50 代議士会
 13:00 衆院本会議
 13:16 控室に首相が挨拶に
 13:21 衆院議長が挨拶に
 13:25 党控室で記者団にお礼

 同日昼すぎ、矢野は国会をこっそりと抜け出し、自宅へ車を走らせる。あらかじめ用意していた札束を、相手に渡すためである。その札束は、自分の元秘書が明電工へ融資するための金だったと矢野は2度目の記者会見で強弁したが、秘書が議員のかわりにそうした行為をしたとするならまだ不自然さもなかろうが、議員が秘書のかわりになぜそのようなことをする必要があったのだろうか。しかも一党の党首が「公務」で忙しい合間をぬってである。さらに手渡した場所は、矢野の自宅なのである。
 本当の融資なら、相手に直接手渡す必要もなく、銀行に振り込めばそれで済んだはずだったろう。通帳にはきちんと融資の証拠も残る。ところが証拠を残したくない金だったからこそ、2億円の札束を直接渡すしかなかったと見られても仕方がない。
 このとき矢野の自宅で現金を受け取った明電工元専務の石田篤氏は、その後、「2億円授受は矢野委員長自身の取引だった」と証言した。石田氏が矢野に対し、「株券が発行されたら、すぐにお持ちします」と述べたところ、矢野は河内弁で「あんじょう頼みます」と答えたという。
 金儲けのため、明電工幹部に株売買のための資金を手渡したというのが実態であり、その不適切な事実を≪隠蔽≫するため、矢野はあえて秘書の融資を代理で行ったとの苦し紛れの≪虚構≫を作出したのだった。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也
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