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堕ちた元委員長  34  すべて秘書のせいにして逃げる

2010年3月19日

 朝日のスクープ報道が出た翌日、「なぜ秘書の名前が株取引の名義人となっていたのか」について、読売新聞は矢野自身の次のコメントを紹介している。
 「秘書に確認したところ、2人は売買に関係した事実は全くないと言っている。私や秘書が明電工がらみの株の譲り受けをしたことは全くない。ある人物が、中瀬古に株の割り当てあっせんを頼まれ、前から面識のある秘書2人をリストに入れたそうだ。あとになって立場上まずかろうと思い直して、この割当株(計4万株)は、小谷野弁護士に受けてもらったという。従って秘書は連絡すら受けていない。『訂正すべきだったのに、急いだ売買だったので怠ってしまった』と謝罪している」
 つまり、秘書は名前を使われただけで、むしろ被害者であるとの主張である。ところが朝日新聞による疑惑報道から3日後の12月12日、矢野は新たに記者会見を開いた。それまで全面否定していた事実を修正し、10億円とは別の話として、2億円を明電工専務に直接手渡していた事実を明らかにし、さらにそれは元秘書の融資を自宅で仲介したものという不可解すぎる主張を行った。矢野の説明は次のようなものだった。
 「元秘書が明電工関連株を担保に融資を頼まれたので口添えし、元秘書から預かった2億円を自宅で石田(注:石田篤・明電工元専務)に渡した。矢野及び家族、秘書が明電工グループから株を買い受けたり、政治献金を受けた事実はない。政治生命をかけて断言する。(融資の仲介は)明電工が脱税で摘発される以前のこと。むしろ(明電工が)苦しんでいるところを助けてあげたと思っている」
 要約すれば、2億円を渡したのは元秘書による明電工への融資の金であり、その担保として明電工関連株を受け取った。自分はそれを代理で行っただけで、矢野も秘書らも明電工との株取引には一切関係ない。
 ではなぜ、10億円の株取引で3人の秘書の名前があったことを問題視された矢野自身が、わずか3日後に、それとは別の話を語りだしたのか。実は、朝日が10億円の話とは別に2億円の金銭授受の事実をすでにつかんでおり、スクープを再び打たれる前に、「先手を打った形の会見」といわれている。
 実際、矛盾だらけの矢野会見を受け、マスコミ各紙はこぞって疑惑を深める報道を行った。特に、最初にスクープ記事を報じた朝日新聞はこう断定した。
 「(2度目の記者会見は)矢野自身が株取引の当事者だったのではないか、との疑惑がささやかれていることに対し、『先手を打って』否定したもの」(12月13日付)
 つまりところ矢野は、「元秘書が融資を頼まれた」「元秘書が2億円を用意した」「元秘書の代わりに現金の引き渡しをした」などと、すべて秘書のやったこととして説明した。いわば、政治家による「秘書が秘書が‥」の走りともいえよう。
 矢野はこのころ、責任転嫁の意図からか、当時党に造反していた都議会議員らの策謀さえも匂わせた。
 「今後とも屈することなく対応する。親切を仇で返された。造反者の藤原行正都議たちの仕掛け、いろいろな動きがなんとなく見えてきているような気がする。謀略に負けるわけにはいかない」(88年12月15日)
 だが、矢野会見の矛盾はどこまでいっても膨らむばかりだった。まず(1)元秘書が明電工に2億円を融資したというのにその契約書すら存在しないこと(2)公党の委員長がなぜ元秘書の“使い走り”のようなことをしなければならないのかという当然すぎる疑問(3)秘書の融資というのに、なぜ現金を受け渡した場所が矢野の自宅なのか(4)なぜ担保が株だったのか。
 これらの矛盾は、矢野絢也が自身で行った株取引を自ら否定し、すべて秘書のせいにして逃げ切るために作り上げた≪虚構≫と考えれば、いずれも氷解する話ばかりだった。

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