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堕ちた元委員長  33  発覚した野党党首の巨額株取引

2010年3月16日

 中瀬古功氏の脱税事件がまだ刑事裁判のさなかにあった88年12月9日――。朝日新聞(夕刊)は1面で公明党委員長・矢野絢也に関するスクープ記事を掲載した。それから半年後、矢野は自身にふりかかったこの問題がきっかけで委員長辞任に追い込まれる。記事には次の見出しが躍っていた。
 「明電工10億円株取引の名義人 公明党委員長秘書の名も」
 朝日は中瀬古氏が逮捕される前年、すなわち87(昭和62)年1月に行われた10億円の株取引に関する名義人の名簿を入手。株を購入した名義人の中には、矢野絢也の第1秘書、第2秘書、元第1秘書の名前があると伝えていた。87年といえば、東京国税局が明電工を密に内偵していた時期に当たる。
 10億円という巨額の株取引に際し、立党以来、政治資金における「クリーンさ」で売ってきた公明党の党首、矢野絢也の秘書らの名前がそこにあったのである。これに対し、矢野は即日、記者会見を開き、「株取引の事実も、株券受け渡しの事実もない」と、疑惑を全面否定してみせた。政治家が何らかの疑惑をかけられると、判で押したように見られる光景の一つである。矢野はこの席で次のように語った。
 「懇親会やパーティーのゲストとして呼ばれた際、(中瀬古元相談役と)名刺交換してないとは言えない。しかし、ビジネス関係、あるいは親密となるような面識はない」
 中瀬古氏と「会っていない」とはっきり断言したわけではなく、「会ったかもしれない」という発言である。
 一方で朝日新聞に対しては、刑事告訴はもちろんのこと、民事訴訟を起こすことも辞さないと強気の姿勢を示した。翌日の12月10日には宣言通り、朝日新聞社の代表らを名誉毀損罪で警視庁あてに刑事告訴。「虚偽の内容を公表した」というのが理由で、新聞各社の取材に対しても、「悪質なデッチ上げだ」と繰り返した。
 ところが奇妙なことに、朝日に対する刑事告訴は、89(平成元)年3月23日までに矢野は一方的に取り下げてしまう。結局のところ、告訴はその場しのぎのポーズにすぎなかった。実際、告訴とともに記者会見で宣言していた民事訴訟の方は、不思議なことにいつまでたっても起こさなかった。
 今となれば、矢野がこの株取引に関与していたことはだれの目にも明らかである。その後の矢野の不可解なまでの≪主張の変遷≫ひとつをとっても、そのことは明白だった。

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