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Archive for 2010年3月

堕ちた元委員長  40  金銭問題で「辞任」に追い込まれた情けない党首

2010年3月31日 コメントは受け付けていません

 矢野絢也はその後も事件をあいまいにしたまま、委員長の座に座り続けようと模索をつづけた。その年の夏には、参議院選挙と都議会議員選挙も控えていた。政党として2つの重要選挙を前にしていただけに、党内や支持団体からは「矢野委員長では戦えない」「明電工事件の疑惑をはっきりと説明せよ」などの声が激しくわき起こっていた。
 結局、世間の批判と相まって、矢野は「辞任」せざるをえなくなる。だが、肝心の辞任会見の席でも、本人は明電工事件の疑惑を最後まで否定したまま、辞任するのは自分の疑惑のためではないなどと強弁した。
 当時、政界はリクルート事件で大揺れに揺れ、同党幹部が取り調べを受けていたほか、別事件でも同党所属の国会議員が起訴されていた。
 矢野は辞任理由について、「1年半に(党内に)2回も司直の裁きが入ることは弁解の余地がない不祥事であり、すべて私の責任だ」と説明した。要するに自分の問題を“棚上げ”したまま、同僚議員の問題にすり替えて、辞任の理由を説明したわけだった。ここに同人の公職者としての政治姿勢が顕著にあらわれていた。
 矢野は「(辞任の)気持ちの背景には明電工事件で心苦しいこともあった」(読売・5月17日付)とも説明したが、明電工疑惑については「利益を受けたことは一切ない。断じてない」と説明しただけで、辞任の理由についても「9割は2つの不祥事。明電工は1割で心理的な要因にすぎない」と述べるにとどまり、「不透明なままの退任」(読売)となった。
 それから20年以上過ぎた現在まで、矢野は明電工事件について、疑惑の払拭をまったく行っていない。終始一貫して、「真実」というものからこれほど遠い元政治家は、元公明議員のなかでは“唯一”であろう。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也

堕ちた元委員長  39  中瀬古氏の爆弾証言で“撃沈”された矢野絢也

2010年3月29日 コメントは受け付けていません

 赤旗記事などですでに間接的に証言していた明電工の元相談役で、実質的なオーナーの立場にあった中瀬古功氏が、自ら公に口を開いたのは、89(平成元)年5月9日のことだった。この日、被告人の中瀬古氏に東京地裁で一審判決が言い渡され、同氏は実刑となった。朝日新聞(夕刊)には次の記事が掲載された。
 「中瀬古被告は、公明党の矢野委員長宅で行われた、株取引に絡む『2億円授受』について『矢野本人との取引だった』と強調、同委員長秘書らを名義人とする『10億円株取引』の背景には『増資をめぐる内部情報に基づいて、値上がり確実とみて行われたものだ』と説明した。これに対して矢野委員長は『中瀬古は虚言症だ』などと全面否定している」
 中瀬古氏の証言によれば、矢野絢也の自宅で行われた2億円授受は、「矢野本人との取引」であり、「増資をめぐる内部情報に基づき、値上がり確実と見て行われたものと明確に証言していた。
 当事者による“爆弾証言”の影響は計り知れなかった。矢野はこのときもいつものように全面否定したが、過去に何度も主張を変遷させてきた人物の信用はすでに地に堕ちていた。矢野の主張の不自然さはだれが見ても明らかだった。そのせいか、各紙ともに一斉に矢野の進退問題に言及し始める。
 「矢野委員長の進退問題に発展も」(朝日)
 「中瀬古証言、公明党・矢野の進退問題に発展か」(毎日)
 「明電工疑惑が再燃 矢野公明党委員長、苦境に 参院選控え進退も」(読売)
 結局、朝日スクープ記事の正しさが証明される形となった。読売は次のように指摘した。
 「中でも不明朗なのは、明電工グループの増資株に関連して、公明党の矢野委員長が自宅で明電工元専務に現金2億円を渡した問題だ」
 「仕手筋の人物に直接会い、巨額の現金をやりとりすること自体、政界浄化を叫ぶ公明党の党首として、まことにふさわしくない振る舞いである。『不注意でしたが、あくまで(融資の)仲介でございます』といっても、そのままうなずくわけにはいかない。もっと納得できる説明がほしいところだ」
 矢野は自らの存在を脅かす中瀬古氏の爆弾証言に対し、「中瀬古は虚言症」「悪意にもとづく根拠のないデッチ上げ発言だ」(朝日)などと反発するしかなかった。3日後の5月12日には、中瀬古氏を名誉毀損で告訴する意向を表明し、告訴状の作成などの準備に入ったなどとも報じられた。だがその後も、矢野が中瀬古氏に対して法的措置をとることはなかった。“ポーズ”だけの姿勢は、すでに限界に達していたといえよう。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也

対矢野ほづみ訴訟  第2回弁論準備手続き

2010年3月28日 コメントは受け付けていません

 東京地裁から「パラノイア」と指摘されても名誉棄損には当たらないと認定されたこともある東村山市議会議員の矢野穂積が昨年11月、当サイトの記述を名誉棄損で訴えてきた裁判で26日、東京地裁で2回目となる弁論準備手続きが行われた。被告である当方側から、問題と指摘された記述が名誉棄損には当たらないことを主張する第2準備書面(8ページ)を提出。次回、原告側が反論を行うことになった。次回(5月16日)も同じ非公開の手続きで行われる。この日、原告本人の矢野穂積は姿を見せず、本人出席は当方のみだった。

カテゴリー:コラム, 矢野穂積

堕ちた元委員長  38  明電工事件でも夫婦で「偽証」した矢野絢也

2010年3月27日 コメントは受け付けていません

 明電工事件で脱税で逮捕・起訴された中瀬古功氏は、東京拘置所で共産党参院議員と面会した際、「矢野氏とは都内で数回会った」「矢野夫人が本社にあいさつに来たこともある」と証言していた。矢野絢也はそれまで中瀬古氏とは「面識がない」と機関紙上などで潔白を繰り返していたが、形勢は大きく逆転する形となった。そこに出てきたのが“追い打ち”となる、88年12月の朝日新聞スクープである。
 記者会見に臨まざるをえなくなった矢野は、「中瀬古と名刺交換していないとはいえない」「妻も本社に行ったことは『記憶がない』と言っている」などと主張。中瀬古氏との関係については、供述を後退させ、一方の妻・満子の関与についてはこの段階になっても否定していた。だが実際はどうだったのか。
 12月18日付の「赤旗日曜版」は、矢野満子が本社に顔を出したのは「1回や2回という程度ではない」という明電工元幹部の証言を掲載、「中瀬古氏が矢野との関係をよく自慢していた」といった内部証言も引き出した。極めつけは、次のような別の同社元幹部の証言であろう。
 「本社の食堂の奥にはレーザーディスクのカラオケ装置をセットした“特別室”と呼ぶバーがある。中瀬古夫人が女性だけのカラオケの会をつくり、ここでよく歌っていた。矢野夫人もこの “特別室”に出入りしていた」
 要するに、矢野は夫婦ぐるみで明電工と“密接な関係”にあったことを関係者が証言していた。にもかかわらず、矢野は中瀬古氏との関係を当初は一切否定し、事実が明らかになると段階的に追認するという態度をとった。これは妻・満子についても同様である。
 東京・渋谷区に本社のあった明電工は、大阪に選挙区をもっていた矢野にとって、投票依頼の相手でなかったことは明白だ。夫人の矢野満子は、重要な国政選挙の直前にも明電工本部を訪れていた。
 結局のところ、矢野絢也および満子は、上記の赤旗報道に抗議することもなく、ただ“黙認”するだけであった。裁判に訴えることがなかったことはいうまでもない。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也

排外主義グループ「在特会」が大手を振って歩き始めた

2010年3月26日 コメントは受け付けていません

 3月24日、地方の市議会では3月定例会の最終日を迎えたところが多かったようだが、長崎県対馬市議会も同様だった。この日、同市議会では「外国人参政権付与法案に反対する意見書」を賛成多数で可決。3月中にも首相および衆院議長、参院議長に提出する運びとなった。
 もともとの陳情を提出した団体が存在する。その団体は「在日特権を許さない市民の会」福岡支部(高倉正憲名義)で、昨年11月に提出されたこの陳情を、同市議会では3月8日に採択し、さらに意見書提出を24日に採決する運びとなった。
 24日の意見書採択では、賛成17、反対3と圧倒的多数で可決しているが、多くの議員は「在特会」がどのような団体であるのか、きちんと認識もせずに採決に臨んでいたようだ。反対3の内訳は、公明1、民主2で、公明市議が唯一、反対討論を行った。
 聞くところによると、長崎県議会での同様の“反対決議”のもととなった陳情も、在特会のものという。この種の反対決議を求める陳情は、これ以外にも大手の保守・極右団体として知られる「日本会議」会員らで構成する「草莽全国地方議員の会」(会長・松浦芳子杉並区議)などが同様の陳情を繰り返してきた。

カテゴリー:コラム, 在特会

堕ちた元委員長  37  「共産党」に何の抵抗もできなかった矢野

2010年3月25日 コメントは受け付けていません

88年12月に矢野絢也が秘書名で明電工関連株を購入していた疑惑を朝日新聞によってスクープ報道される前の月、日本共産党機関紙「赤旗」は11月21日付で興味深い記事を掲載していた。同党所属の参院議員が小菅にあった東京拘置所を訪れ、中瀬古功被告と面会。そこで中瀬古氏が語った次のような発言を記事にしていたからである。
「矢野氏とは、(昭和)60年ごろ、ある経済人から紹介されて知り合った。都内で数回会った」
「矢野夫人が明電工本社(東京・渋谷区)にあいさつにきたこともある。61年6月ごろのことだ」
いずれも矢野が党委員長に就任する前のことで、内容が事実であれば、書記長時代にあたる話だ。矢野は同年夏の産経報道などで名前をとりざたされると、「いっさい無関係」と強弁していたが、11月の段階で、中瀬古氏は赤旗紙上で「数回会った」「夫人も来た」と親密な関係にあったことを証言していた。
そのうえで朝日報道が出ると、矢野は「名刺交換していないとはいえない」と主張を後退させ、さらに3日後には「融資を仲介した」と、今度は関係性をはっきり認め、供述内容を180度変転させたのだった。
「赤旗」はその後も12月18日付日曜版で、「矢野氏と中瀬古の仲は“淡い”どころか夫婦ぐるみ」と題する記事を掲載。矢野の妻が明電工本社を訪れた回数は「1回や2回ではない」とする関係者のコメントも掲載した。
矢野絢也のこうした供述の変遷を指して赤旗は、「国民に対し真実を率直に語るというのにはほど遠い態度です」と指摘。東京スポーツや朝日新聞など、一般のメディアに対しては告訴・提訴を行ってきた矢野も、共産党機関紙については一切法的措置をとることすらなく、事実上“容認”する構えをとった。
学生時代、共産党シンパとして活動した経歴をもつだけに、民間マスコミなどと異なり、強力な法律家集団を擁していることにおそれをなしたのか、矢野は共産党に対してはなんらの弁明もできずに沈黙をつづけた。
一方の共産党からすれば、クリーン・パーティーで売り出したライバル政党のトップが、自民党的な金権体質にどっぷりと≪ 汚染≫されている姿を目の当たりにし、いまが“攻めどき”と考えたのは無理もなかった。

カテゴリー:コラム, 矢野絢也

邪馬台国はどこか

2010年3月24日 コメントは受け付けていません

 3世紀の日本のありようを記した魏志倭人伝に出てくる邪馬台国の所在地はいまだ諸説がありはっきりしない。大きくは九州説と畿内説とに分かれるが、倭人伝の記述をそのまま受け取れば、九州北部以外には考えにくい。福岡県などが主催する検証シンポジウムが先日、春日市内で行われ、「あなたが決める邪馬台国」と称して、邪馬台国の比定地をめぐる人気投票が行われた。九州だけでも北は博多湾沿岸から南は鹿児島県霧島市周辺まで、29か所もの候補地が挙げられたという。人気投票の第1位は甘木・朝倉説(福岡県)で、断トツのトップ。つづいて博多湾沿岸、吉野ヶ里(佐賀県)とつづいた。もちろん古代史に関心をもつ一般市民らによる人気投票なので、必ずしも現実と合致しているわけではない。
 古くは福岡県山門郡(瀬高町周辺)を邪馬台国に比定する説が有力だった。読み方は同じヤマトであり、その後の近畿のヤマト政権とも関係があると見られてきたからだ。
 興味深いのは、考古学の研究者から、「国が真剣に解明しようとするなら、必ず特定できる」との意見が出されたことであろう。国が20億から30億円くらいの予算をつけて、関係学会をあげて国家的プロジェクトとして解明作業を進めれば、必ず特定されるとの専門家の意見は重要である。中国は殷の前の夏王朝の存在などをそのようにして発見したと付け加えている。
 邪馬台国時代の古代史は、日本の成り立ち、さらには天皇家の歴史とも密接にからむ可能性のある問題で、これまで国が本腰をあげて取り組もうとする姿勢は見られなかった。だが、国家の成り立ちを正確に把握することは、その国の国民にとって極めて大切なことであろう。いつまでも畿内説と九州説に分かれ、不毛な論議を続けていても仕方がない。民主党政権はこうした問題にも、取り組む姿勢を見せてみてはどうか。

カテゴリー:コラム