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判決文を読めない憲法学者

2010年1月31日

 日本大学に百地章という名の憲法学者がいる。日本の著名な右派系団体「日本会議」の“御用学者”として知られるが、当然ながら、産経新聞でも重要な論客の一人として扱われている。外国人参政権問題で反対論者として常に有用とされている人物ではあるが、憲法学者でありながら、判決文もまともに読めないレベルにあることは明記しておいたほうがよい。顕著な実例として、95年2月の最高裁判決について、同人が意図的に歪曲した読み方をし、その内容を“扇動”してきた事実が挙げられよう。
 この裁判は、日本で長年生活してきた外国人である在日コリアンらが、選挙人名簿に名前が登載されないのはおかしいとして訴えた裁判だが、日本国憲法では外国人に選挙権を保障しているわけではないので、当然ながら、棄却された。その一方で、確定判決では、永住外国人などの密接な関係をもつ外国人については、立法の裁量で地方選挙権を付与することは「違憲ではない」と判示したものである。
 要するに、永住者などの外国籍住民に地方選挙権を付与しないことは違憲ではないし、逆に法律で定めて付与しても違憲ではない。それは司法が決めることではなく、「立法府」が日本の社会状況に照らして決めるべきことですよ、と判示したにすぎない。
 そうした論旨明快な判決に対して、百地教授は、「論理的におかしな判決」と一貫して主張し、前段のみに偏った主張をこれまで繰り返してきた。要するに、バランスのとれた判断ができない人物なのである。極めつけは、判決を「本論」と「傍論」に無理くりに分離し、地方参政権を認めた部分は「傍論」であり、「拘束力をもたない」などと言い出した。これこそ同人特有の≪暴論≫であろうと思われる。
 上記の最高裁判決は、判事5人の一致した意見として呈示されているもので、全体の流れとして読むべきものである。それを都合のいいところだけを抜き取り、都合の悪いところは理由をつけて斬り捨てる。これはおよそ法律に携わる学識者のとるべき態度ではなく、邪まな態度と非難されても仕方がないだろう。
 こうした人物が、右派の学者としては価値が高いのである。理由はおそらく、法学者としておよそお粗末としか思えない行動をとれるような学者が、百地氏以外にいないからだと私には思われる。逆にいえば、見識のある憲法学者は、こうした手合いをはなから相手にしていない。どの世界にもこのような人物はいる。
 ジャーナリストの世界では、特定の意図をもってデマを振りまいてきた乙骨某などに似通った手法の人物といえよう。「事実」ではなく、「都合のいい事実」のみが大事なのである。

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