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「ガセネタ屋」と「虚飾の政治家」の結託

2010年1月16日

 95年の東村山市議転落死事件はいまや「東村山デマ事件」と言い換えたほうが正確となったが、そのデマ事件の情報操作において、“ペテン師”矢野穂積からいいように利用された筆頭格のジャーナリストが、乙骨某という名の人物であった。
 乙骨は週刊誌で適当なコメントを垂れ流し、自らも月刊誌などに書き、書籍まで出版。いまとなっては単なる憶測で無理やり結論にもっていこうとしたお粗末な書籍にすぎないが、当コラムで指摘してきたとおり、乙骨の「ガセネタ」はこの一事にとどまらない。教団関係では上記のデマ事件に加え、「2大虚報事件」のひとつとして知られる信平狂言事件でも、乙骨は週刊新潮や妙観講と連携して盛んに“暗躍”した。20代で教団を脱会し、それだけを飯の種にしてきた男にとって、かきいれ時と思った判断が逆に高くつく結果となったわけだ。 
 だが、こんな「ガセネタ屋」であっても、日本の教団報道の分野は人材不足という極めてお粗末な状況にあるため、逆に珍重されるという不可思議な現象がいまも続いている。同人が主宰している「フォーラム21」という名の小冊子もその事例のひとつであろう。
 いまそうした職業的ガセネタ屋と結びつき、利害を共有している象徴的な人物のひとりが、元政治家の矢野絢也だ。矢野は典型的な詐欺師に慕われるような行動をしてきた人物で、目的のためには手段を選ばない体質が顕著だ。「2大虚報事件」に主体的に関わった「戦犯ジャーナリスト」であっても、利用できるものは利用するという姿勢で一貫している。
 俗に、類は友を呼ぶという。そうした者たちが“結集”する姿は、かつてあの“希代のペテン師”山崎正友を中心として、乙骨某らを含め群れていた姿と何ら変わらないものとして映る。矢野絢也がなんらかの信念をもって社会に訴えるつもりなら、こうした手合いと結びつく必要はまったくなかったわけで、その点だけからも、後世の評価を大きく落とすことは間違いない。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也, 乙骨
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