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立証できずに「白旗」を掲げた矢野穂積ら

2009年12月30日

 朝木明代が死亡した95年9月2日から、同僚市議の矢野穂積は「他殺」と「教団関与」をあからさまに主張し始めた。明代の娘で、矢野に“議席譲渡”したことで問題になっていた朝木直子も、同様の発言を繰り返した。
 教団側は悪質なメディアについて刑事告訴と民事訴訟を起こしたが、その最たるものが「週刊現代」だった。同年9月、教団が民事提訴した裁判は99年7月に一審判決にたどりつくが、被告の講談社に謝罪広告の掲載と200万円の賠償を命じる厳しい内容だった。
 この裁判で現代記者に対し、「母は殺された」と語っていた朝木直子と大統(明代の夫)は、途中から一転取材を受けていない旨に供述を変遷させ、立証責任を逃れようと方針転換した。この確たる事実経過は、草の根を主導していた矢野穂積が、教団関与の他殺説の真実性を立証することが不可能と判断し、自分たちの責任を回避しようと、講談社との信頼関係もかなぐり捨てて、自己保身を図ったことを意味していた。
 ここから見えるのは、自分のためなら他人がどうなろうと関係ない、過去の自らの主張でさえ簡単に捨て去ることのできるお手軽さというべきものであり、「ペテン師」の典型というべき行動パターンだった。
 同じパターンを、朝木明代転落死事件にあてはめるとよりわかりやすい。矢野穂積が「他殺」と主張した根拠はほぼなきに等しく、自分の身を守るためにそう主張せざるをえなかった構図だけが鮮明に浮かび上がる。
 話は変わるが、矢野穂積はこれまで、サイコパスが市議会議員になったらどうなるかという実例を世間に多く提供してきた。サイコパスは欧米では「洋服を着た蛇」と別称されている。獰猛な捕食性と良心の呵責の欠如がその特徴だ。最近ではマングースの働きをする人が増えてきて好ましいが私もその一人にすぎない。
 飽きっぽい小生を再び「東村山の闇」に導く結果を招いてくれたのは、だれあろう、矢野本人である。

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カテゴリー:コラム, 矢野穂積
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