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堕ちた元委員長  30  矢野絢也のわびしき後半生

2009年12月15日

 今日付の新聞各紙によると、訃報欄に元公明党衆院議員の「矢追秀彦」という人物の名がある。享年76。矢野絢也(77)と同世代で、矢野が入会当時、信仰面の先輩として信頼した人物とされる。65(昭和40)年に参院全国区で初当選し、3期をつとめたあと、83(昭和58)年に衆院に鞍替えし、衆参で計6回当選した。
 矢野の入会当時、教団において大学生はまだ珍しかった。当時、矢追氏は大阪大学歯学部の学生で、京大時代に入会した矢野と親しく付き合った。2人はその後、「YYコンビ」といわれる親友になったとされる。
 青年期に同じ理想をもち、政界に使命を得て進みながら、矢野はすでに“希代のペテン師”山崎正友と同じ生き方を選んでしまったので、ただの裏切りの人生でしかなくなった。山崎流の生き方とは、所詮は自分のかつての過ちを隠蔽する「自己愛」の精神そのものであり、責任をすべて環境のせいにし、自己正当化を図る点に特徴がある。そのための手段としてマスコミを使い、著作を執筆する。だが、山崎の著作で歴史に残るものは一冊もない。矢野の著作も大同小異で、所詮は、政治の世界で結果を残せなかた男の言い訳にしか読めない。自己愛の強い人間に特有の「自己弁護」のひとつの方法にしか見えないからだ。
 歴史はその男の人生を明確に処断する。生きざまの本質がどこにあったかという点が何よりも重要なのだ。

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カテゴリー:コラム, 矢野絢也
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