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堕ちた元委員長  29  「野党の田中角栄」

2009年12月12日

 毎日新聞の名物コラム・岩見隆夫氏による「近聞達見」(09年11月28日付)に、このほど86歳で亡くなった田英夫氏の思い出が掲載されていた。それによると1971(昭和46)年ごろの話という。TBSを退社して社会党から参議院全国区に出馬し、トップ当選を果たした田氏が、田中角栄の大臣室を訪ねた際、帰り際に100万円の札束の入った封筒をポケットにねじこまれ、「カネはあって邪魔にならんよ」のドスのきいた一言で、差し戻すことができなかったというエピソードである。岩見氏はその話を田氏から直接聞いていたというが、記者としての仁義の関係で、生前は明らかにできないままでいたというものだ。岩見氏はこう書く。
 「当時、革新陣営の花形選手だった田に、首相の座が間近の保守実力者が現金を渡す。 あのころの100万円は小さい額ではない」
 おそらく現在の価値に換算すると、数百万円にはなるだろう。革新政治家でさえこうした状況にあったのだから、自民党に近かった公明党首脳のおかれた「誘惑」の強さは容易に想像がつく。
 実際、矢野絢也が北海道伊達市内の土地1760坪を従弟名義で購入したのは、田中角栄が自民党幹事長の職にあった70(昭和45)年11月のことである。それらのまとまった「資金」がどこから出たのか。さらにその後の不透明な複数の不動産購入も同様である。
 実際、小生が矢野絢也の従弟宅を訪問したとき、従弟は当時を振り返るような仕草をして、「『日本列島改造論』が出たころでしたからね」と、田中角栄の著書を言葉にしてその影響を匂わせていた。
 矢野絢也が当時、党幹部の立場を私的に利用した「疑い」は真っ黒に近い。国会初質問で鮮やかなデビューを飾ったものの、それからわずか3〜4年後には、自民党の金権政治の中枢に取り込まれ、自ら≪堕落政治家≫への道を転げ落ちていった。仮にそうしたカネを一切受け取らず、「公明党というのはほんとうに堅物ぞろいだ」との評価が政界で固まっていれば、いまの公明党の停滞もなかっただろう。何事も最初が肝心である。
 矢野は後年、「野党の田中角栄」というありがたくない汚名を着せられることになった。所詮は自業自得である。角栄は自分の政治の理想を実現するためにカネをばらまき、権力維持につとめた。矢野絢也のそれは、政治の理想を実現するためというより、自らの住む「豪邸」や遊びが目的で、およそ私的利用の域を出ないものだった。その意味では人間のスケールが違いすぎる。矢野はあまりにも矮小な田中角栄にすぎなかった。

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